オフの金曜日でうとうとしていた午後なんだけど、なにやらTwitterのフィルム界隈が騒々しいなと思ったら、こんなニュースが飛び交っていた。
富士フイルム、120の「PRO160NS」と4×5/8×10の「VELVIA50」を販売終了 https://t.co/akzg18H6yI pic.twitter.com/JVnWoGysVP
— デジカメ Watch (@dc_watch) October 15, 2021
中判カメラをやってる人にはリーズナブルで、しかもPRO400Hが無くなってからは唯一の国産カラーネガ中判フィルムだったPRO160NSのディスコン話だから、騒々しくなるのも致し方ない。
なかには「富士フイルムが嫌いになった」という声もあったりするわけだけど、僕は割と冷静に受け止めてるというか、フィルムを始めて以来、何度もフィルムの廃番や値上げを見てきてるから、「その流れをわかったうえで、フィルムをやっている」と思ってる。
フィルム生産やフィルム販売は当たり前だけど慈善事業ではなくてビジネスだから、富士フイルムだけじゃなくてどこの企業であったとしても利益を生み出す事業じゃないと継続はできない。
で、おそらくもう何年も前からフィルムは作れば作るほど赤字事業なんじゃないかと思う。
それでも、写真文化に育ててもらったという企業精神が、富士フイルムの中にまだ販売継続を許す空気が僅かながら残ってるんだと思う。
じゃなかったら、とっくの昔にフィルム事業から撤退してるだろう。僕なんかは、富士フイルムには感謝しかない。
フィルムで撮る行為、フィルム写真のその尊い描写は、たしかに永遠にこの世に残していきたい美しいものだと思う。
それはたとえばCGビジュアルが台頭しても残り続ける絵画やクラシック音楽のように。
でもそれは、世の中の人すべての日常に残り続けるというよりは、文化の一部として残り続けるもの。
世の中の大衆文化としては、時代とともに刻々とその流れは変化し続けるのが常である。
そして、これまで写真文化を支えてきた企業各社も、なんとか生き残りをかけて次の時代の写真文化のありようを模索している。
いや、試行錯誤しながら苦しんでるといったほうが正しいかもしれない。
スマホカメラに取って代わられて10年前の1/10にまで縮小したカメラ産業は、必死にもがきながら、それでも僕らにカメラのある生活を届けようと努力している。
そんなことすべてを受け入れながら、僕らはカメラと写真のある生活を、目の前にある条件を工夫しながら楽しんでいかなくてはいけない。
僕も一時期はフィルム産業が縮小するニュースを耳にする度に、少なからず嘆き節をつぶやいていた。
でも、それがデジカメとの新しい向き合い方の発見にもつながってるし、フィルムだのデジタルだのという境界線も無くしてくれたように思う。
世界は、時間は前にしか進まない。前に進むとしたら、どうあったほうが幸福か。
写真についてもそういう熱量で接していきたいなと考えている。だって、写真を撮ることが好きだし、生きがいだからね。
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