僕のブログ「記憶カメラ」は、僕の記憶をとどめるためにやってるけど、もうひとつ使命感のようなものがあるとするなら、それはフィルムカメラファンやデジカメを含むクラシカルなカメラのファンを一人でも多く増やせればいいな、というのはある。
恐れ多いんだけど、でも同じようなことを考えてる人がTwitterの中なんかには実はけっこういて、そうやって思わず使い手の人たちが周囲に「この素晴らしさを知ってほしい」とあちこちで独自の行動をしてる感じも実に好きな部分なんだよね。そうやって行動を起こさせる高揚感こそがフィルムカメラの魅力の強さを物語ってるんだと思う。
だってさ、フィルムカメラなんてもう生産も基本終了しているアイテムだから、今さら企業が宣伝もしていないしね。フィルムカメラに触れる機会といえば、それはもうフィルムカメラ使いの人たちが、街中で、日常生活の中で使ってる姿を周囲に見せるしかないしね。もしくは、こうやってブログやSNS、YouTubeなんかでその魅力を使用感として紹介していくしかないんだよね。
でも、それがかえって強かったりする。宣伝じゃなくて、思わず心の中から溢れ出た「フィルムカメラっていいよ!」という感激の叫びだからね。ひとつひとつは小さな叫びでも、それがうねる瞬間というのは必ずあると思っていて、そういううねりの時を目撃したくて、僕はフィルムカメラをやって、こうやってブログを書き続けていたりする。
フィルムカメラをやるってことは、カメラらしさの素晴らしさを原点から知るということだから、それはスマホカメラじゃ得られない「カメラという道具で写真を撮る楽しみ」を知る大きな転換点にもなる。カメラというプロダクトが今後も支持され続けるかどうかはフィルムカメラの普及にかかっているとも言えるんだ。だからね、余計なお世話と言われようとも、ここは密かに戦いなんだ、決して諦められない戦い。
楽しみ尽くすことが結果的に軽やかな戦いにもなる。僕はこのプロセスが嫌いじゃない。そして、この先、何年かかるか分からないけど、世の中がちょっとうねって、その時密かに小さなガッツポーズが世の中のあちこちで起こればいいなと思ってる。