日記のようなもの

大人になったら趣味がいろいろ救ってくれる。

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若い頃は毎日劇的で趣味なんかハマってる余裕がなかったというか、毎日生きてることが趣味のようなところがあった。みんなはどうだろう、僕はそうだった。行くとこ、やること、初めてのことが連日起こって、時間は膨大にあったけどそれでも足りないような新鮮なことの連続。打算の無い仲間が常にいて、悩みもあったけどそれすらどんどん解決されて、また新しい明日が押し寄せてくる感じ。そんなだから、趣味なんて考えもしなかったし、そこから何かを享受したいなんて思いもしなかった。

でも、大人になると、それなりに毎日は面倒なことやセンシティブなことの連続に変わり、疲労というかストレスというかそういうこれまであまり経験したことの無い類の曇りガラスみないなものに囲まれ始める。デスクワークは授業のように夕方には終わってくれず、夜まで及ぶ。責任の所在なんて言葉に苛まれ、望みもしない競争にも自分のケツを叩いて挑まなくてはならない。つまり、生まれて初めて”オフ”とか”発散”とか”息抜き”とか”リセット”とかそういうものを欲するようになる。そうしたものを寝て過ごすいなし方もあるけど、それはあまりに消極的で寂しい。

そう、大人には趣味というのは遊びじゃなくて人生として必要になってくる。幸い世の中は良くできたもんで若い頃よりは財力はある。時間も昔のお勤めの人なんかよりはある程度休みを取れる時代でもある。自分さえその気になれば、趣味というものを人生に組み込む環境はつくれる。あとは踏み出すかどうか。僕の場合はそれがカメラでありロードバイクであり車であり読書であり音楽であり。どれもそれほど特別じゃないけど、あまりジャンルは関係ない。そういうモノたちと過ごすことで自分が解放されるその感覚が大事なだけだ。何でもいい、他人の目は若い頃ほどは気にもならない。それよりも、自分が心地いいことにニュートラルに向かってゆく自分を楽しむ。

大人は余裕があるから趣味をやるとか、そんな優雅なものじゃない。自分を仕事に人生に邁進できるようにバランスをとる、時に逃げ場であり、時に気持ちを高揚させる場であり、時に何かを思い出す場として趣味は必要なんだと僕は思う。若い頃からもっとはやく趣味を始めてればなあと思った時期もあるけど、そういうものじゃないんだな、趣味はと。趣味は人生をいろんな局面で救ってくれる相棒みたいなもんだ、今はそう考えている。

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