Leica M3

そっと、ライカ。

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ライカはカメラをやったことがない人でも一度は聞いたことがあるような有名なブランドである。僕もカメラを始める前はそう思っていたし、実際カメラをやるようになってM3を手にし、その時空を超えてなおオーバークオリティを感じさせる精密さや操作感、機能美の塊のようなデザインを目の当たりにして圧倒された。

でも、このライカというカメラは、それだけの威厳を持っているのに、まったく出しゃばらない。常に平静を保った大人の振る舞いというか、あくまで主役は撮り手であってライカは脇役に徹する、そんな風にさえ見える。

よく言われる囁くような小さなシャッター音もこのカメラを静的な存在にしていることは確かだけど、それだけじゃない。カメラにせかされないで撮れるというか、じっくり、ゆっくりとじぶんの無理のないペースで撮ればいい、そんな気分にさせてくれる包容力みたいなものがある。

本当は毎日このライカを鞄に入れて街撮りスナップを撮りたいとも考えたんだけど、僕のライフスタイルだとそれもなかなかままならない。かといって週末も今朝のようにフィルムの残ったF2を持ち出すことになると、M3は出番がない時だってある。

でも、そんな時も焦らないんだな、ライカって不思議と。そんな時は部屋の中でライカのボディを手のひらの中で眺めたり、巻き上げレバーや空シャッターを味わったりするだけで、それはそれでよしと思える。

無理に持ち出そうと焦ることなく、じっくりと出番をうかがいながら撮り手との呼吸を合わせてくれる、そんなゆっくりと流れる時間がこのライカにはある。

Nikon F2のような”撮ることを強烈に感じさせてくれる”一眼レフと比べると実に対照的で、F2が動なら、このライカは静だけど、それは撮れる写真が静というものとは違う。あくまで、撮り手やまわりの人にとって、その出しゃばらない存在感が静ということなんだ。

ライカを手にした人は長きにわたってライカと人生を共にする。それはコレクションという意味合いではなくて、こうして焦らずじっくり、ゆっくりと歩む、その結果としての姿なんだなと最近思うようになった。そう、カメラはあくまで脇役であって、主役は撮り手の人生だからね。

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