写真とは

いつも持ち歩いているカメラということで言えば、iPhoneも立派なカメラである。

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今朝はオフで水辺にいる。平日の朝だけに他は誰もいない。ひとはいないけど鳥の声と夏の虫の声が鳴る。静かで実にゆるりとした朝だ。GRも持ってるんだけど、なんとなく気分的にiPhone6Plusを取り出して一枚撮る。考えてみると数年前まではiPhoneでよく写真を撮っていたな。いちばん好きだったのは最初に持ったiPhone3GSかな。あの鮮明すぎない感じが好みだった。

GRを購入する時のきっかけになったのはTumblrでとある人の写真たちを見てからだけど、その人はずっとフルサイズ一眼レフで撮っていたひとだったんだけど、ある時から一眼レフで撮ることに写真欲を失っていき、コンデジや古いマイクロフォーサーズで撮るようになる。はっきりとは覚えていないけど、カメラや写真にはすごく詳しいひとで、デジタル一眼レフのなんというか味のなさみたいなのを嘆いていて、その大きさや重さも相まっていつの間にか外へ持ち出すのを躊躇し始めてたような気がする。

そのひとがふっきれたのか、たまにiPhoneで撮っていて、なんだこれで十分じゃないかとか言ってたのを思い出す。たしかに構図がよければ、iPhoneの写真は(モノクロだけどね)十分というか、臨場感がむしろあった。カメラというのはなんだろうね、機械なんだけどすごく心にフィットすることが求められる。ただ精巧な写真が撮れればいいということではない。手に持った感触や重さ、佇まいとか、その時々の気分にすごく寄り添ってくれることをひとは求める。iPhoneがいい時もあれば、GRがいい時もあるし、フルサイズ一眼レフがいい時もあって、思い思いのシチュエーションで今日も数百万枚、いやもっとかな、たくさんの”今”が撮られている。ひとはなぜ写真を撮るのだろうか。その答えも数百万通りあるということか。深いなあ、この世界。

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