写真のキャプションに機材名を入れるのは「機材の記憶」、僕の場合はね。
誰かがTwitterでつぶやいてたけど、写真のキャプションになぜ機材名を入れるのか?ってね。僕の場合は、写真は「僕の記憶」であり「街の記憶」であり「日々の、大げさに言えば人生の記憶」であるわけだけど、機材もその写真の一部だと思ってるから、そうすると「機材の記憶」というのもとても自然な形として存在するんだよね。
まあ僕が写真を見る目がないから、後からその写真を見たときに「機材とそのシチュエーションを思い出すため」というのもあるんだけどね笑。あとは、単純にその写真と機材キャプションが、これからそのカメラの購入を検討しようとする人の何かしらの参考になればいいかなと。というのは、まさにこのブログ「記憶カメラ」のコンセプトみたいなものでもあるんだよね。
僕の記憶であり、誰かのための街の記憶や機材の記憶。たまに、僕のブログやツイートを見てカメラやレンズを買いました、という声をいただくことがあるけど、その時は「あ、背中を押してしまいスミマセン」という思いと、「あ、同じ感覚を持ってる人がいて良かった」みたいないろいろ入り混じった思いがある。もちろん、うれしい思い。
カメラやレンズは安くないからね。買うとなるとそれはけっこう一大決心だったりする。そういう人生の節目節目のプロセスに少しだけ関与できたとしたら、それはやっぱり僕の人生にもポッと火が灯るというか、あ、つながってる、みたいに思うんだよね。あと、そうそう、機材名を入れてると、同じ機材を使ってる人からアドバイスなんかももらえるから、それもまたちょっとうれしかったり。僕はマイナーなカメラやレンズが多かったりするから、そういうアドバイスは貴重でもある。
写真に言葉はいらないなんて言うけど、どうかな、機材名は言葉を添えるというより記憶を添える感じが僕にはあるかな。そう、機材も写真の一部だから。