これもきょうの気づき。ある人がTwitterで「レンズなんかどうでもいいと冷めてみている自分がいる」的なことをつぶやかれてた。でもこの方はレンズは本来大好きで、そういう意味では誰よりもレンズを愛している一人でもある。そんな方がどうしてふとレンズなんかどうでもいい、というニュアンスの言葉を発したか。それは、いいなと思う写真を見つけた時にレンズ情報のことを気にしてなんかいない自分に気がついた、という趣旨のツイートを後でされていた。なにかすごく分かる気がした。もしくは分かろうとしているじぶんがいた。
僕はカメラを持ち出すときはその日のレンズをあれこれ考えながら選ぶ。マクロ、単焦点、標準ズーム、中望遠、超望遠それぞれあるから一応迷う。その日の天候とか撮りたいシチュエーションをイメージして選ぶ。でも選ぶのは一本だけ。旅行の時は二本持っていったことはあるけど、ふだんは完全にD750+一本のレンズだけになった。カメラバッグは持つけど、予備のレンズを入れるというより、もしもの天候の時の雨避けに。一本しかレンズを持たないから、撮り始めたら完全にレンズのことは頭から離れる。それにそもそも僕が持っているレンズはどれも高価ではないし、仮にレンズが高価だとしても僕にはその性能を最大限引き出す知識もない。そういう意味では本当にアマチュアのさらにアマチュアだから、プロっぽい写真を撮ろうという欲もない、たぶん。僕の中の写真は良くも悪くも精巧な記録ではなくて、僕の中のエモーショナルな記憶なんだと思う。とはいえ、それは無我夢中で撮っている時の意識で、それ以外の時は僕も日頃からレンズのことはいろいろと気にはしてるんだけどね笑。でも、そのある人のツイートのおかげでまたひとつ、僕の中でぼんやりしていたことが少し鮮明になった気がする。僕の写真は、レンズが撮っているんじゃなくて、僕が撮っている。