Konica FS

スマートフォンがあるのなら、スマートじゃないカメラの方が楽しいでしょ。

Konica FS, Hexanon 52/1.8

スマートフォンがあるのなら、スマートじゃないカメラの方が楽しいでしょ。

スマートじゃないとか言ってKonica FSを載せたら、コニカとコニカファンから怒られそうだけど、この場合のスマートじゃないというのは完全に褒め言葉で、それだけ個性が強いってことです。事実、僕はこのカメラをたまたまショーケースで見つけて、そのフォルムのユニークさに一目惚れして衝動買いしたからね笑。

まあ、たしかに今の世の中、ただスマートに写真を撮るだけなら、何もこんな仰々しいカメラを持ち歩かなくても、ポケットからスマートにiPhoneを取り出して、それこそサッとスマートに撮影したら、スマートにSNSなんかに写真をポストすることができる。写真の加工だってスマートフォンならお手のもので、モノクロ変換もフィルム風写真にだってすぐできる。実際、その実力もスマートなわけです。

でも、写真のできあがりを楽しむだけじゃなくて、写真を撮る道具を楽しむというのもまた、写真を趣味として楽しむには大切なプロセス。だとしたら少々個性のあるカメラと付き合うほうが、なにかと体験としても濃くてより楽しいわけです。これはどうだろう、人間といっしょじゃないかな。単にスマートな人と向き合うより、個性の強い人と向き合うほうが喜怒哀楽も豊かで楽しいのと同じかもしれないよね。

このKonica FSなんて、重いし、大きいし、ボディデザインもどこか洗練さとは違う方向を向いていて、開発者の人たちの確信犯的な個性の演出を感じずにはいられない。これでもかと言わんばかりに厚くもられた黒塗りの光沢。少しアンバランスを思わせる大ぶりな各所デザイン、スマートさとは真逆を行くような個性豊かな存在感は、万人に受け入れられるものとは異なるかもしれない。10人いたら10人全員が良いと答えるというよりは、好き嫌いが分かれるデザインや造りかもしれない。けれど、そこがいい。だって、スマートに撮るならスマートフォンがあるわけだから、あえてカメラを所有するならスマートなものとは逆張りするようなカメラの方が、なにか日常に抑揚ができておもしろいと思うわけです。僕だけかなあ、そんなアンバランスさみたいなものを求めちゃうのは。

フィルムカメラが今でも愛されるのは、スマートな時代に埋もれない、いい意味での異物としての存在感や使用感なのかもしれないね。人間は好奇心が生きるエネルギーみたいな生きものだから、なんでもかんでもがスマートがよろしいというような時代において、決してスマートじゃないけど、いい意味でその無駄みたいなものを日常にとりこむことに飢えてるかもしれないね。僕なんかは確信犯的にもそういうことを意識してフィルムカメラと向き合ってるところがある。

「スマートフォンがあるんだから、なにもそんなスマートさとは真逆のようなカメラをあえて持つ必要ないじゃん」とか言われそうだけど、そこはね、スマートじゃないから趣味としては厚みがあって楽しいじゃん、ということになる。そして今日もまた、スマートとは無縁のような個性豊かなカメラたちを手に入れたり、眺めたり、直したりしてニヤリとしている人たちが決して少なくない数、Twitterのタイムライ上にいることに、僕もまたニヤリとするわけでる。幸福だなあ、この感じ。

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