最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

フィルムライクなカメラ、という趣味。

Rolleiflex Standard etc.

特にポリシーとかあるわけじゃないんだけど、僕の手元に集まってくるカメラやレンズたちに何か共通点があるとしたら「フィルムライクに撮る楽しみ」ということかな。ライカたちしかり、Nikon Dfしかり、Bessa-Lしかり、一見共通項が無さげなカメラたちも僕の中にはそうした好みですべて繋がっている。

フィルムが好きだけどデジタルでも撮る。そこの垣根は無くなった。フィルムとデジタルでは描き出す写真ははっきりと違うけど、そこは違うことを前提に、でもカメラで撮るという行為においてはすべてフィルムライクに楽しめてる。あと意外と大きいのは、デジカメで撮ってもその場で撮れた写真をモニターで確認することはほぼ無いから、自宅に帰ってMacBookにつなぐまでは未現像状態みたいなもの。撮影する時のリズムはフィルムカメラとほぼ一緒、というのが僕のスタイルではある。

でもどうだろう、フィルムライクな写真好きかと言われれば、僕の場合はフィルムライクな“カメラ好き”なんだよね、やはり。クラシカルでヴィンテージ感のあるカメラの佇まいが好きだし、それぞれのカメラが持つ個性ある操作感が好き。あととにかくシャッターを切る行為が大好き。その嗜好性がいろんなカメラたちを「じぶんの目と手で試したい」という好奇心につながり、コレクションしてるわけじゃ決して無いんだけど、いろんなカメラたちが手元に集まってしまうんだな。困ったね笑。

けれど、そういう趣味の人が意外といることがTwitterやブログのコメント欄なんかを見てると分かって、なんかうれしいというか、ちょっとホッとしたり笑。そこは昭和生まれの男たちが抱く共通した何かなんだろうなあと妙に共感したり。

僕は街中のスナップも撮るし、愛犬との散歩でなんてことない草花の写真も撮る。誤解を恐れずにいえば、被写体はなんだっていいみたいなところもある。カメラで撮るという行為がまず楽しみの前提で、その上で家族の思い出を残せたり、都市の景観の移り変わりを記憶できたり、季節の移り変わりを体感できたりと、カメラと写真を二倍で楽しめている感覚がとても心地いいんだ。

カメラというのは、手にするとなんか撮らなきゃと少々気負ってしまうところがあって、僕も最初はなんか撮影計画みたいなことを考えたりしてたけど、今は「撮ろう」ということよりも「いつもカメラを持ち歩いておこう」という気分。持ち歩いておけば自然と数枚ずつ撮るし、後から振り返って写真を見た時も、頭の中に薄っすらとしか残っていない記憶の断片をつなげる役に立つ。そういう意味では、僕はアマチュア“写真”愛好家ではなくて、アマチュア“カメラ”愛好家なのかも。コレクターじゃなくて、シャッターを切るほうの愛好家ではあるけれど。

近ごろはストリートじゃなくても、好んでライカを使っているじぶんがいる。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕の中でライカといる時間が加速したのはバルナックIIIaとデジタルライカM-Pを迎え入れたあたりからだけど、それは同時にストリートスナップを撮ることを好む気持ちが加速したことを意味する。実際、ライカほどストリートスナップに向いたカメラはないんじゃないかと再認識し、以前から所有していたM3も平日の街中へ持ち出すようになった。ライカとは、ある意味じっくり構えて撮るカメラというより、速写のスリルというかアジリティを楽しむカメラだと。

けれど、ここ最近は家の近所ののんびりとした散歩にもライカを持ち出すことが多くなった。ゆっくり撮るというかであればNikon Dfがあるわけだけど、それでもデジタルならM-PやX2、フィルムならM3がIIIaを自然と好んで持ち出す。以前のブログに「オールマイティということでいえば、カメラはM型デジタルだけでもいいんじゃないか」というような記事を書いたけど、デジタルという限定はしていないけど、何だったらライカだけでいけんじゃないか俺?、というのを試してるようなところがあるんだよな。

それくらい今はライカと過ごす時間が心地いい。それはプロダクトとしての見た目のデザインの良さでもあり、撮る時のレンジファインダーのフィーリングの気持ち良さであり、ライカのレンズが描く描写への思い入れだったりいろいろだ。とにかくいろんな要素が混ざり合って、ライカと過ごす心地いい時間を再認識しつつあるんだ。それには以前ブログにコメントをくれた建築家の方の「過去にはいろいろなカメラを使ってきたけど、今は仕事を含む日常すべての写真をライカだけで撮っている」と語ってくれた声の検証みたいなものでもあるんだ。

ライカはたしかにスナップシューティングに適したカメラだけど、だからといってDfのようにまったり撮ることに不向きかといえば全然そんなことはなく、むしろ小さなシャッター音が辺りの静寂を邪魔することなく、サイレントシューティングのような楽しみ方も存分に味わえる。そもそも手ぶれ補正もない、オートフォーカスもないわけだから、ゆっくりかまえて撮るほうが物理的にも快適だったりするからね。

思えば初めてのライカ、M3を手に入れてからしばらくは、M3は週末専用機で、街中でヒュンヒュン撮るよりは家の周辺の散歩道を緩やかに切り取るカメラだった。ある意味、そこへの原点回帰みたいなところも僕の中にあるんだよね。平日の街中も、週末の散歩道も、ライカがあれば多様なリズムで撮影を楽しむことができる。なんというかこの「行き着くところ、ライカ」という感覚がようやくわかりかけている今。ライカを生活の中心に置いた時、その周辺にどんな必要最小限のサブカメラがあれば豊かなのか、そんなことを自然と考え始めているじぶんがいる。思考とは生き物だなと思うし、そうやって熟考した先に現れるライカの本質力みたいなものは凄いよなと思うんだ。

エルマー、ズミクロン、ズミルックスで撮ってみて思うのは、それぞれ必要だということ。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

これはもう完全なる僕の主観なわけだけど、50mmのレンズを好んで使う僕がライカの古きレンズたちをひと通り揃えてみて思うことであってね、正解だとかそういうことではまったくないんだけど、エルマー、ズミクロン、ズミルックスは50mmライカの世界を代表するレンズでもあるから、そのことには触れておこうと。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まずエルマーなんだけど、これはひとことでいえば「影のある端正」ということになるだろうか。ライカレンズの最初期の銘柄でf値は3.5だから、いわゆるボケなどを期待するレンズではない。だから撮る意識もおのずと光景を切り取ることが主眼になる。それもシンプルに。僕の感覚はそうだ。なんというか清々しい世界を描こうというより、少し影のある世界を描写したいと思わせるレンズ、そんな気がする。けれど、静かなんだけどその中に狂気のような強さがある。いろんなレンズを使っても結局エルマーに戻ってくるというのは、人間が内に秘めた孤独性みたいなものの真理の証というか、とても分かる気がする。どうだろう。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

そして、ズミルックス。これはもう僕の中ではとにかく華やぎを持つレンズという印象が強い。どんなにシックなシチュエーションで撮ってもそこに華やかさを持ち込んでくるとでも言えばいいだろうか。そこにはネーミング通り「最高の光」という、光をふんだんに取り込むことで写真を作り上げるズミルックス流の写真の仕立て方がやっぱりあると思う。ズミルックスだけはとにかく開放よりで撮りたいと僕は思う。f1.4、特別なノクチルックスをのぞけばライカで最も明るいレンズであるその開放値を使わない手はない。僕はもともとボケは好きで、それで一眼レフでカメラを始めたところがあるけど、このズミルックスとの出会いがライカを一眼レフ以上のカメラへと押し上げ、夜スナップへと僕を導いた、ちょっと特別なレンズといっていいだろう。このレンズに出会わなかったら、僕はここまでライカにのめり込んでいなかっただろうと思う。

Leica M-P, Summicron 50/2 1st
Leica M-P, Summicron 50/2 1st

最後がズミクロンだ。順番通り、手に入れたのもズミクロンがいちばん最後なんで、まだズミクロンが何かと言えるほど量も撮りきれていない。ひとつ前のブログ記事には始めて試し撮りした印象を少し書いてはみたけど、まだまだこのレンズについては未知数だ。けれど、一般的に言われる力強さはこの一枚にも見て取れると思う。f3.5のエルマーとf1.4のズミルックスの間に位置するズミクロン。つまりエルマーの静かさや端正さと、ズミルックスの光をふんだんにすくい取る華やぎの両面を持ち備えている気がする。そんなことを普通にやるとどっちつかずの描写になりそうだけど、そんな屁理屈を吹き飛ばす強さがこのレンズにはある気がする。それはそうだ、実際には孤高の性能を誇るLeica M3の標準レンズとして当時のありったけの技術を注いで作られたレンズだから、最高を形にしたレンズであることは間違いない。

つまり、同じ50mmのレンズでも、僕程度の知識しかない単なるカメラ愛好家でも、この3つのレンズにはそれぞれ差であり味つけのレイヤーが存在し、それは代わりがきくとかそういう問題を超越して、それぞれ3つが同居して存在する意味とか意義を強烈に唱えている気がする。僕も最初はエルマーひと筋で行こうとか考えていたんだけど、それをズミルックスがいい意味で壊してくれ、最後はズミクロンが3つ存在する価値のトドメを刺してきた。カメラやレンズは深く突き詰めるという意味では所有する数は少ないほうが濃密だ。しかし、この3つのレンズだけは、それだけの種類があることを見過ごすことはむずかしいと今は思える。ここに来てようやく、ライカのレンズのことを熟考する機会が僕に訪れている。いろいろ書いたけど、ここからが始まりのような気が強烈にしている。

デジタルライカと初代ズミクロン、60年越しの出会いになるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

それにしても違和感のない、実にしっくり組み合わせだ。Leica M-P typ240とSummicron 50/2 1st 固定鏡胴 後期型、ズミクロンが登場してから実に60年越しのM-Pとの共演といえるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕のズミクロンは沈胴しない固定鏡胴タイプで、手持ちのエルマーが沈胴式だから、ズミクロンは初代でも固定鏡胴が欲しかった。中古カメラ店で何度もtyp240とM型フィルムライカに装着してその佇まいを確認し、最後は「うん、これだ」と確信して購入した。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

もともとズミクロン1stを手に入れようと考えたのは、Leica M3用にと思ったから。この夏、僕はふとLeica M3のことをあらためて惚れ直すに至り、M3を生涯使い倒すのであれば、やはり当時M3とセットで売られていた標準レンズといっていいズミクロンをつけてやるべきじゃないか、そう思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

物理的に言えば50/2というレンズはPlanar T*2/50ZMを持っていたから必要ないんだけど、そこはやはりライカで確かめたかったというのかな。ElmarとSummiluxは持っているんだけど、その間を埋めるf2のレンズもライカのオールドレンズで確かめたかった。僕の中でライカのオールドレンズに魅せられてきた結果だと思う。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

フィルムで撮る前に、まずズミクロンの性格みたいなものを掴みたかったから、デジタルライカM-P typ240に装着して、愛犬の散歩と共に試し撮りへ出かけてみた。エルマーとズミルックスとどう違うのか、同じf2のプラナーとどう違うのか、そんなことを考えながら、ひとまずは辺りをいろいろ撮ってみた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まあ僕の目にそれらの違いを語れる能力があるかというと無いわけだけど、感覚的なことでいえば、ズミクロンは「試されるレンズ」だと思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕的にいえばズミクロンは見事にエルマーとズミルックスの中間的世界だと感じた。エルマーの奥深さ、そしてズミルックスの華やかさ、その両者のよさを中間的に持ち合わせているレンズ。でも逆にいえば、どっちつかずのバランスのとれすぎた描写になる。エルマーとズミルックスで撮ってきた僕には第一印象としてそう感じられた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

これは僕がエルマーとズミルックスの描写がそれぞれ好きすぎるからそう思うんだろうけど、ズミクロンを最初から手にした人であれば、このバランスのいい描写はまさに代表的レンズの風格を堪能できる一本だろうと思う。現代的レンズであるZMプラナーと比べても「癖のあるボケの余韻」は分かりやすくオールドレンズ の良さを堪能できる。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

でも、もっといえば「ズミクロンは簡単じゃないレンズ」じゃないかと思った。ひとまず試し撮りの第一印象としてこうして感想を言葉にはしているものの、たかだか試し撮り程度では語れない奥深さを持ち備えているレンズ、それこそがこのズミクロンの真骨頂じゃないかと。時間をかけてじっくりとその実力を絞り出していく楽しみがあるレンズ。それこそが僕が初代ズミクロンに感じた魔性のような魅力だ。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まずはデジタルライカで試してみたけど、このズミクロンの真髄はやはりM3につけてからが真の快楽なんだろうな。僕がこの初代ズミクロンの購入を決めた最後の押しは、このフードITDOOをつけてM3に装着してみた姿に惚れ込んだからに他ならない。この佇まいは、撮れる写真云々の前から撮り手にパッションを与えてくれる。

Leica M3, Summicron 50/2 1st

やばい艶かしさ。ズミクロンはやはりM3のために生まれたレンズ。当時のライカ開発陣の美学や気迫がプンプン漂ってくる。バルナックとエルマーの組み合わせと同じ種類の、ひとかたまりで圧倒してくる究極の機能美のようなもの。僕にとってカメラとはデザインの美しさも最大の要素、固定鏡胴のズミクロンはそこも軽々と撃ち抜いてきた。やるな、ライカ。人生を共にする価値がこのレンズにはある。

きょうは一日、M型ライカの日だったな。ブライトフレームで切り取る日。

Leica M-P〈typ240〉, Leica M3

きのうKindleでライカ本を読んだからかな、きょうは朝の愛犬との散歩からM3を連れ出して、一度帰宅してからM-Pを足してから古い町並みを撮りに出かけ、夕方の愛犬との散歩もM-Pと。丸一日、M型ライカと過ごす日となった。

たまにあるんだよね、無性にブライトフレームをのぞいて撮りまくりたくなる瞬間が。それは同じライカでもバルナックやX2じゃなくてM型だし、一眼レフではなくてM型。M型ライカてしか得られない時間であり、撮影感覚。これは言葉で説明するのは少しむずかしい。

そうしていつも思うのは、M3というカメラの素晴らしさ。見た目以上にずしっとくる厳かな重さ。そのボディを手で包み込んだ時のなんともいえない本物感。1950年代に作られたとは思えない美しいファインダーの中の世界。M3で撮る世界は、デジタルライカのM-Pで撮る世界とまったく違和感がない。ちょっとフィルムカメラであることを忘れるくらいだ。

M3でフィルム3本をあっという間に撮り終えて、その後はM-Pで余韻を楽しんだ一日。緩やかな満足感に包まれてきょうが終わる。いい日だったな。さて、仕上げのRunへ出かけよう。

M-P typ240に外付けEVF、僕の想像以上に快適だった。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

三連休初日の朝、Leica X2用に手に入れた外付けEVFを初めてLeica M-Pに装着して散歩カメラへ出かけてみた。結論から言うと、僕の想像を超えてすっごくおもしろかった。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

何がおもしろかったんだろうと、ふと帰宅してブログを書きながら考えているわけだけど、ニュアンスでいえば「レンジファインダー機が一眼レフ機になったような感覚」かな。ふだんはレンジファインダーのとても明るくガラス素通しの世界を見てるんだけど、それがブラックアウトされた濃密なファインダー空間になる。そんな感じだ。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

レンジファインダーのあのファインダー体験も素晴らしいけど、このEVFをのぞく体験も実にワクワクした。実利的には、MFアシストでピントがあっている部分を赤く指し示してくれるから、すっかり老眼の僕にはありがたいのと笑、いわゆる撮れる絵がそのままファインダー内で確認できるのはRF機ではけっこう新鮮なこと。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

通常、レンジファインダーだと見える世界はあくまでガラス越しの景色であって、ボケ具合にしてもフレアの広がり方にしてもできあがりの写真の絵は想像するしかない。でもEVFだといわゆるできあがりの写真の絵が撮る時に確認できるから、このブログの写真たちのようにフレアを楽しんだ写真が撮れやすい。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

帰宅して写真を見ると、そういう光の取り込み方を楽しんだ写真が多かったから、知らず知らずのうちに僕はそこを楽しんでいたんだろうなと思った。レンジファインダーをそんな使い方するんであればミラーレスでいいんじゃないの?という声が聞こえてきそうだけど笑。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

まあそこは楽しみ方がひろがるということで、僕はレンジファインダー機に外付けEVFは全然アリだと思った。もともとコンデジLeica x2用に手に入れたEVF Olympus VF-2だから最初はM型デジタルで使う気はなかったんだけど、どうやらtyp240には使えるらしいと知って試してみたら、なるほどこれはアリだなと感じたので、ちょっと得した気分だ。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

今回連れ出したレンズは、Carl Zeiss Planar T*2/50ZM。いわゆる現代的コシナ製プラナーだけど、なかなか味わい深い描写をしてるれるレンズで僕のお気に入りのレンズのひとつだ。オールドレンズたちよりは現代的でクールな写りだけど、その透明感みたいなものはZMプラナー独特の世界。価格も手に入れやすいので、ぜひおすすめだ。

Leica M-P typ240, VF-2, Planar T*2/50ZM

もし外付けEVFの購入を迷われてる方がいれば、これは間違いなくアリだとお伝えしておきたい。ライカ純正のEVFはモノの出来以上にかなり高価だけど笑、中身は同じと言われるオリンパス製のこのVF-2なら1/3ほどの二万円ちょっとで新品を手に入れることができるのでおすすめだ。というわけで連休初日の朝はなかなか新鮮で気分のいいスタートとなった。やっぱりカメラは僕を幸福にしてくれる。

重くはなるけど、typ240のこの大型の電池の持ちは驚異的。

Leica M-P typ240の電池充電キット

前にも一度書いたかな。でもこの電池の長持ち具合はほんと驚異的で、電池充電するたびにいつも感心してる。ライカはこういう実用的なところに手を抜かないイメージが、僕の中ではこの電池のありようで明確になったくらいだから。

写真の電池を見てもらえると分かると思うんだけど、Nikon Dfの電池なんかと比べても2倍近く厚みがある感覚。当然その分重さも感じるんだけど、これ一つあればまず控えの電池を持ち歩くような心配はいらない。実際、僕は大抵のカメラは予備の電池を購入しているけど、Leica M-P typ240に関してはこれ一つだけ。これで普段は一週間程度は充電せずに使っている。いや、もっと長いかな。とにかく驚異的な長持ち具合なんだ。

ライカというカメラはなんといってもスナップシューター。街中なんかで撮る場合でも、次々と俊敏に移動しながら撮るその動きの中では、できれば電池交換はしたくない。そういう不安やストレスからこのライカの電池は解放してくれる。少し重くなったとしても電池交換の不安を払拭することをチョイスしたライカには僕は賞賛を与えたい。

実際にデジカメは機械式フィルムカメラと比べると、この充電というプロセスがなかなか面倒だったりする。もちろんフィルムカメラはフィルム交換というプロセスがスナップ中に発生するけど、それはそもそもフィルムで撮る時はスピードも少しおだやかというか、僕はフィルム交換自体は癒しの時間だと思っていて、ほどよい休息時間に使っている。

でもデジタルはもっと俊敏だ。俊敏さを要求するというか、そのためのデジタルみたいに思っているところがある。Nikon Dfなんかはまったり撮ることが多いけど、Leicaに限ってはまったりだったとしても空気のようにサッと撮りたいところがある。そういう撮り手のささやかな望みみたいなものをライカはうまくすくい取ってくれている気がする。このtyp240の大きな電池と比べると、Leica X2の電池は小ぶりだけど、それでも数日間使って思うのは、やはり電池の持ちが良さげだということ。デジカメにとって実は電池は最重要性能のひとつ。カメラ本体の性能の進化もだけど、僕は電池の進化もちょっと注目していきたいと思っている。

霧雨の今夕は、部屋で空シャッターを愉しむ。

Leica M-P typ240, Leica M3

昨夜、北部九州に特別警報をもたらした大雨は、その後中国地方や関西でも猛威を振るっているというニュースがいくつも飛び込んでくる。自然は大抵大らかで優しいのだけど、時にこうして厳しい姿もみせる。どうかこれ以上荒れずに、おだやかな自然へと戻ることを祈る。

外はその大雨の影響が少し残る空で、わずかに霧雨が舞う。今夕の愛犬の散歩はカメラを持ち出すのを諦めて、足早に帰宅。こんな日は、自室で過去の写真を眺めたり、静かな部屋で空シャッターを切る。幸いLeica M3にはフィルムが入っていなかったから、あのなんとも言えないニュルリとしたダブルストロークのシャッター巻き上げ、チッとかすかに聴こえるシャッター音を愉しむ。

M3のシャッターフィールを愉しんだ後、その21世紀版のLeica M-P typ240も数回シャッターを切ってみる。M3のチッというかすかな音と比べると、キャッチャというような少し元気な音を奏でる。それでもM3と比べれば元気というだけで、街中ではほぼ周囲の音にかき消される程度の音。M3とM-Pは共にボディ前面にライカの赤バッジもないから、こうして見ても実に地味で良い。ただただ控えめな存在感であること。僕が街撮りはほぼライカを選ぶ理由だ。

カメラは写真を撮る道具だけど、外が雨の日にこうしてカメラを眺めたり触れたりするだけでも愉しめるのは、大人の趣味としてはかなりエモーショナルで素敵だ。冷やっとした金属の感触、その金属の角やアールの造り込みを指でなぞる心地よさ、照明に照らされて表情を変えるプロダクトデザインとしての美。どれをとってもまったく飽きることなく、外は雨でも極上の時間を過ごすことができる。僕はこのほかにもいくつかのブランドのカメラを持っているけど、雨の日に眺め、触れるカメラとしての最高な機種はといえばやはり、M型ライカということになる。

新しいことにチャレンジするのは気持ちいい。それはカメラやレンズも同じなんだろうね。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

昨夜、Twitterに「コレクションするつもりはないのにカメラやレンズが増えていくのはなぜだろう」みたいなポストをしたら、カメラ好きの人たちが「気になったら欲しい!買いたい!と思う」とか「知りたい集めたい確かめたいってなるのは、男の子ならしょうがない!」といったニュアンスのTweetを返してくれて、みんな同じなんだと妙に安心したり笑、勇気みたいなものをもらったり。おもしろいよね、男は。

僕もほんとじぶんのことを呆れるくらいで、Leica M-P typ240を購入した時にはさすがにもうカメラやレンズは増やさない、いやカメラはもうライカ3台だけに絞り込もう、とか考えたんだけど、その後むしろカメラやレンズは増えていき、今はひとに台数を言うのもちょっと恥ずかしいくらいになってきた。

そのカメラやレンズが増えていく原因みたいなものはじぶんでもはっきりしないんだけど、あえて言葉にするなら「確かめたい」ということなんだと思う。まだじぶんが未体験なものを確かめたい気持ち。カメラなら一眼レフ、レンジファインダー、ミラーレス、二眼レフ、コンパクト…カメラを使えば使うほど未体験の世界をのぞいてみたい気持ち。レンズも、ボディとマウントアダプターのまだ見ぬ新しい組み合わせを試してみたいという気持ち。僕の場合は、カメラにハマっていったというより、この「確かめたい旅」みたいなものに出かけてしまったんじゃないかと思っている。

一眼レフから始まった旅は、僕の中で寄り道しながらもなんとなく必然であり運命のようなものも感じながらぐるぐると巡り、いまLeica X2を手に入れるに至った。RICOH GRもあるし、FUJIFILM X-E2もあるし、なんだったらM型デジタルもあるのに、なぜX2がいるのか。カメラに興味がない人からすれば同じようなデジカメがなぜ複数台いるのかっていう話だろうけど、確かめたかったんだな、X-E2のある夏カメラ生活みたいなものを。そして、またX2らしさを確かめたくてEVFを注文した。光学ファインダーとも背面モニターとも違う、EVFをのそいて撮る世界への確かめたい気持ち。いやあ、この旅は長いし、果てしない。どこへ行くのかも分からないけど、新しいチャレンジが今日とか明日のエネルギーになっているのは間違いない。ワクワクとかドキドキする気持ちを忘れないためのエネルギー。カメラやレンズとは特にその要素が強いように思う、男子諸君には特にね。