Leica M3

使い続けると、この落ち着きのある撮影感覚がたまらなくなる。レンジファインダーという存在。

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今朝はフィルム一眼レフを持ち出したんだけど、朝のどちらかといえば静かに撮り歩きたい時は、やっぱりレンジファインダーのほうが心穏やかになれて心地いいなと思った。僕は、だけどね。

一眼レフはその佇まいやシャッター音、ミラーショック、ブラックアウトなど、ひとつひとつのダイナミックともいえる操作感が「俺は今、撮ってる」という点でとても満たされるカメラ。僕のカメラライフの原点だから、それはそれで譲れない魅力があることには変わりないんだけど、カメラが主張し過ぎるんだろうね。いい意味でね。

それと比べると、レンジファインダーは主張しない。どちらかというと存在を消そうとするような要素ばかりだ。小ぶりなボディも、操作音も、シャッター音も、とにかく控えめだ。ファインダーの中の世界も、目の前にある普通の世界そのまま。現像した写真があがってくるまでは、その場の空気を特に劇的にするものはない。いい意味で脇役に徹してるように見える。これが、静かに写真を撮りたい僕には、性に合っているというのもあるかもしれない。

平凡な毎日に刺激を与えてくれるカメラとしては一眼レフはたまらない魅力があるけど、欲しいのは刺激だけじゃない。静寂であり、奥ゆかしさであり、余韻みたいなものにまず包まれていたいという、人間のベースにある欲求といえばいいだろうか。そういうものを満たす、もしくは埋めてくれる存在として、レンジファインダーはこの世に存在し続けているんだろうなと、ふと思った。一眼レフは好きだけど、最も心地いい存在としては、レンジファインダーに僕はたどり着いたようだ。

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