NikonとNIKKOR

週末、フィルムカメラで癒されてみないか。

Nikon F2 フォトミックA, Ai 35/2.8

いやいや、フィルムカメラは撮れる写真を語ってほしいとお叱りを受けそうだけど、僕は断然、フィルムカメラと戯れるひとときが好きなんだ。

フィルムの箱を開けて、フィルムの匂いを微かに感じながら、カチャカチャとちょっと玩具的な音を聞きながら、カメラにフィルムを装填する。グリッグリッとフィルムを巻きつけてカメラの裏蓋をカチッと閉める。もう、ここまてでかなり楽しい笑。

フィルムカメラと外へ出かけたら、光を探す。光と影がやわらかく交錯する場所を探すんだ。と同時に、装填したフィルムのISO感度を思い出し、レンズの絞り値をおぼろげに合わせる。そして、その場の光の量に合わせてシャッタースピードダイヤルを調節する。「こんなもんかな」。このアバウトさもいい。

被写体にレンズを向ける前に、大体、距離目盛も大雑把に合わせることが多い。街中スナップで目測で撮るクセのおかげかな。で、ようやくカメラを光たちのほうへ向ける、ファインダーをのぞく。そうすると現れるんだ、まぶしい光景が。光学ファインダーならではのナチュラルな光景がね。

僕は一枚撮ったら、大抵フィルム送りレバーを送っておくから、次に写真を撮る時はシャッターを切るだけだ。露出計があるカメラの時はファインダーの脇の露出値を見ながら絞りやSSを変えることはあるけど、ほとんどの場所は多少の露出のズレは気にせず、エイッとシャッターを切る。ラティチュードのひろいフィルムならではのずぼらなプロセスだ。でも、これがまた神経質にならずにすんで、僕にはいい。

電池を使わない機械式のシャッターのフィーリングは、やっぱりいい。自然界の中に僕も融合して一体となって撮ってる感じといえばいいのかな。これだけ電気に囲まれたハイテク機器時代に、電気を使わずに写真を撮っているという感覚は、非日常性の極みのようなもの。癒しというのは自然界に帰ることなんだとつくづく思う。

デジカメなら当たり前にその場で確認できる写真も、フィルムカメラではまったくできない。撮ったら次の光景にすぐ意識は向かう。このリズムもいい。僕は今、目の前の光をフィルムに封じ込めたんだという納得感だけがその時の歓びだ。失敗写真かどうかも分からないわけだから、変な反省もない。ポジティブだ。

デジカメみたいに永遠には撮れないからね。知らず知らずのうちに一枚一枚を丁寧に撮るようになる。不思議とフィルムカメラを持つと36枚がかなり多い枚数に思える。時間がスローモーションのように流れていく感覚があるのは僕だけだろうか。マニュアルで露出を合わせながら、ピントもマニュアルで操作しながら撮り歩くと、けっこうしっかり時間がかかる。時間を忘れるという言い回しのほうが正しいかな。

フィルムを撮り終えて、フィルムを巻き戻すひとときも僕は好きだ。ぜんぶを巻き終えてフィルムが抜けたあの感触がなんとも言えずいい。カチャっとフィルム室を開けてコロリとフィルムを取り出すと、何か一つ「節目」にもなって、また次のフィルムを入れるか、空シャッターを数回楽しむ。

いや、手間かかるよね、フィルムで撮るっていうのはね。でも、手間がかかるから趣味としてのフィルムカメラはおもしろい。この一連の行為が便利すぎたら、これほどそこに趣や癒しは感じない。そこが便利で快適すぎたら、それは趣味というより作業になってしまう気がするからね。

なんかどうでもいいような、フィルムカメラでは珍しくもなんともないプロセスを書き綴ったけど、もしフィルムカメラは未経験で、かつ最近デジカメで撮ることに写欲を感じないという人がいたら、ぜひ一度フィルムカメラを試してみてほしいなと。どうかしたら一万円前後でボディもレンズも手に入るから、試すのにそれほどコストも気にしなくていいからね。

家や職場の近くにフィルムを現像するところが無ければ、撮り終えたフィルムは少し貯めておいてもいい。時間に余裕がある時にラボへ立ち寄るペースで全然構わないし、郵送で受け付けてくれる現像サービスも検索すればあるからね。とにかく急かされずにゆっくりとフィルムとフィルムカメラのある時間を楽しむ。それでいいんだ、趣味だし、癒しの時間だからね。

現像していい写真が撮れていたら、それはさらにプラスαの儲けもの。それくらいの気持ちで、フィルムカメラで撮るという行為だけでも極上の時間と癒しが楽しめるのがフィルムカメラの良さなんだ。写真という目的のための道具にすぎないカメラなわけだけど、フィルムならその道具を操るだけでも豊かな気持ちになれる。そんな素晴らしいツールを僕は他に知らない。

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