RICOH GR

聞こえるのはじぶんの足音だけ。RICOH GRと大地を歩く。

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日曜日の朝、久しぶりにカラダを休ませる一日にしようとロードバイクは家に置いて、RICOH GRだけを持って家の近くを散歩する。仕事場からかなり遠い我が家の周辺は緑も多くてオフを過ごすには気に入っている。仕事場の近くにマンション住まいしている仲間も多いけど、僕はこうして遠くに一軒家を求めたのは、幼い頃に山や空が近くに感じられた場所で育ったことが影響しているんだと思う。

9月に入ったこともあり、家の裏の自然に恵まれた公園は秋の気配がいたるところで感じられる。数ヶ月前までは一眼レフが散歩の相棒だったけど、今はGRが平日週末問わず相棒だ。昨日ロードバイクで出かけた時に撮影を楽しんだまま充電していなかったから、電池残量は少なかったのが少々心細かったけど、その分一枚一枚を大切に撮ろうなどと考えながら散歩を楽しむ。

大自然というわけではないけど、秋の道は少し意識して歩けばいろんなところに小さな秋を見つけることができる。GRは街中のスナップを撮るだけではなく、こうしてポケットに入れて外に持ち出し、地面に跪くように写真を撮るのにも実に手軽に扱えていい。GRを地面スレスレまで下ろして親指でシャッターボタンを押しながら撮る。こらだけカメラを下ろすとモニターは正確には見えないけど、その分目の前の光景を肉眼で見られるから、それはそれで心地いい。

週末の早朝の郊外、聞こえるのはじぶんの足音だけ。枯葉が少しずつ増えてザクッと踏み込む足裏の感触も癒される。どんぐりを見つけたり、栗を見つけたり、さし色のような地面に落ちたばかりの花びらに、低い位置からそそぐ太陽光が光と影の世界を作り出す。普通に道を散歩するだけでは通り過ぎてしまうような小さな世界も、カメラを持ち歩くとこうして自然の営みとか四季の移ろいを感じとれる。そこがカメラという存在の好きなところ。きょうも決して劇的な一日ではなかったけど、カメラのおかげで愛おしい一日になった。ここから冬へは一気、日々大地の色が刻々と変わる。僕のGRを通したもうひとつの目の記憶もこの表情豊かな秋が一年のピーク。これから2ヶ月くらいかな、この”散歩カメラの季節”をひっそりと楽しみたいなと思っている。

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