懐かしい音楽が心地いいように、その写真もやがて誰かを心地よくする。
僕はシャッターを切るのが好きなカメラ好きだから、ただただ今その瞬間の心地よさのためにスナップ写真を撮っているところがあるんだけど、それでもその写真たちが時間を経過すると、また違う価値ができるんじゃないかと思っているところもある。
下のツイートは、僕がTwitterの固定ツイートにずっと貼っているもの。ありがたいことに実にたくさんの人がリツイートしたりしてくれてるんだけど、あ、同じような思いのひとがいるんだ、と思うとちょっとうれしい。
誰がが言ってたけど、なんてことない街角のスナップ写真も、数十年後にはとても味わい深いものになる。いま数十年前の写真を見て感じるあの感情のようにね。街を撮ろう、数十年後の誰かのために。 pic.twitter.com/GXHMyb6ILj
— 記憶カメラ (@KiokuCamera) March 14, 2017
Twitterのタイムラインにたまに数十年前の日本の街並みの写真とか流れてくるでしょ。あの写真なんかを眺めてる時にふと込み上げてくる心地よさみたいなのがいいなあと。決してね、驚くようなシチュエーションの写真じゃなくたって、時が経てば写真には価値みたいなものが宿るんだなとしみじみ思ったりするんだよね。
そんなことを考えると、なんてことない平凡な街並みのスナップを撮ることも、とても豊かに思えてくる。本当は、後から誰かがその写真を振り返る時には撮影年月日や地名まで入ったものが「記憶」としてはいいんだろうけどね。僕はそこまではできていないんだけど。
プリントして残してもいいし、Twitterにポストして残していくのでもいいし、ブログでインターネット上に記していってもいいよね。どんな方法でも、数十年後に、それこそ100年後に誰かがそれを見たらきっとグッとくることは間違いない。いま楽しんでる写真が、やがてまた誰かを心地よくすることができるとしたら、やっぱり写真は素晴らしいものだと思うんだ。
そんなことを言いながらも、僕もまだまだ撮り足りてはいない。なんてことない世界の片隅の街角をもっともっと撮って、未来の誰かへバトンタッチする。そんな風に思うと、また今日も、明日も、カメラを鞄に忍ばせておこうと思うんだよね。