日記のようなもの

僕の中では、撮ることと書くことはかなり似ている。

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僕はそもそも面倒臭がりで計画性があるというよりは常に直感的だ。あまり綿密に準備することも得意じゃないし、写真にしても文章にしてもかなり即興でその場のじぶんの感覚任せだ。共に作品なんかじゃないし、ごくごく個人的な記憶の断片に過ぎない。でも、どちらも好きな感覚は学生の頃からあったし、直接的な写真家でもモノ書きでもないけど、あれから数十年も広告の世界に身を置いていることを考えると少なからずじぶんには表現することが合っていたんだろうなとは思う。

とはいえ、仕事となれば自分の好みや達成感だけで表現を楽しむことはできない。クライアントの思いが出発点であり、そこには社会に対する責任のようなものも常に求められる。ひと昔前に比べれば表現はずいぶん自由にはなったけれど、それと相反するようにデリケートさや緻密さに神経をすり減らすことも増えた。つまり、結果的に僕らしさは滲み出るかもしれないけど、僕らしさを起点とした表現ではない。

そんななか、TwitterやInstagramといったSNSが現れ、多くの人と同じように僕も個人的に発信する手段のようなものに出会った。仕事柄、まずは自らハマってみるし、自分なりに実験場としていろいろ言葉や写真をポストはしてみるのだけど、なんというかプラットホームにどこかコントロールされている感じがあって、言葉と写真のいい関係のような表現ができずにいた。そんな時に出会ったのが、今さらだったけどブログだった。

今はブログの中の写真と言葉の混ざり具合というかバランスがじつに気持ちいい。僕が好きだったかつての新聞広告のバランスに近いからかな。一枚の絵と、一言のキャッチフレーズと、数行のボディコピーで構成される最もシンプルな広告のかたち。あ、これだ、僕がやりたかった写真と文章の結婚は、みたいな発見があった。仕事柄、ネット上の広告のこともテストしてみたい気持ちがあって必要最小限の広告は載せているけど、つまり僕の中ではとてもミニマルなかたちでじぶんがやりたいこと、表現したいことが凝縮されているのがこのブログの世界。僅かずつではあるけど覗いてくれる人も増えてきて、それも励みになったり、この送り手と受け手の距離感も実に心地よい。

と、ここまで読んでくれた人は本当にありがとう。人には人生の中で何か向いてるなと思うものに出会うものである。それに気がつくか気がつかないかだと思うけど、幸いに僕の場合はブログというかたちで写真と文章への興味みたいなものを投影することができたので、しばらくは、いやゆっくり長い月日をかけて楽しんでいこうと思う。よかったらまた遊びに来てください。非常にプライベートな部屋のような狭い世界かもしれないけど。

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