そして、Nikon F6にたどりついた。
カメラとは最初の一台は一目惚れで欲しくなることもあるけど、大抵の場合、2台目以降は何かしらの布石がある。プロセスであり、ストーリーとも言える。僕のカメラ所有歴もまさにそうだ。カメラを始めた時には想像もしなかったけど、今にして思えばここにたどり着くのは必然だったと思える。フィルムニコン最後のフラッグシップ機、Nikon F6だ。
F6が登場したのは2004年。世の中はすでにその頃からデジタル一眼レフへと移行が始まっていたが、このF6はまさにニコンの意地のようにその時期に発売され、実は今も現行機種としてラインナップされている。とはいえ、カメラを始めて数年、フィルムを始めたのはつい最近の僕は、このF6の存在をほぼ認識していなかった。なのに、どうしてF6を手にすることに至ったのか。
そこには、いくつもの布石があり、プロセスがある。まず、ニコンに関していえばNikon F2を手にしたことが大きい。それまでNikon FEでゆるりとフィルム写真を楽しんでいた僕が、機械式シャッター機であるF2を手にしたことで、露出のおもしろさやさまざまなオールドニッコールの味わいを知るようになる。それは、僕にとってはカメラの楽しさの再発見みたいなものだった。
やがてデジタルでも同じようにマニュアルライクな楽しみ方を見出したいと思い、Nikon D300、そしてDfを手にするに至る。そうして、ひとつの結論にたどり着く。フィルムとデジタルはできあがる写真の質感こそ違えど、カメラを操る楽しみでいえばフィルムとデジタルは軽やかに行き来する楽しさがあるんじゃないか、という感覚だ。
そう確信してからは、僕は迷いがなかったと思う。Nikon Dfがデジタルなんだけどフィルムライクに楽しめるように、その逆版ともいえる、フィルムなんだけどデジタルライクに楽しむことができる、そんなNikon F6へと強烈に意識が向かった。
運命的な出会いもそれを後押しした。いつも行きつけのカメラのキタムラの中古カメラショーケースに一台のF6がたまたま入荷していた。多少キズもあったけど、顔見知りの頼りにしている店員さんに品定めしてもらったところ、製品の状態としてはすこぶるいいと言う。多少、沼かななんて頭をよぎったけど、ふだん見かけたことのないF6がこうして僕の目の前にこういうタイミングで突如として現れるのは、やっぱり何かの運命なんだろうなと、思いきって購入を決めた。
レンズもこれまた、たまたまなんだけどF6を手に入れた時には欲しいと思っていたAi AF 50/1.4Dが入荷していて、その店員さんとフードやフィルターまで一式を選んで、写真のようなF6ができあがった。少し変わっているのは、オールドニコンのシルバーのフィルターを装着したこと。Ai MFニッコールのシルバー環みたいで、店員さんとこれはいいとしばらくカメラ談義で盛り上がった。
F6の操作方法を簡単にレクチャーしてもらって、その場でフィルムも入れてみた。フィルムの自動装填はけっこう驚きだった。いかにもフィルム機の完成形だけあって、随所に手が込んている。そして何より、その手応えがいかにもフラッグシップという迫力を伝えてくる。フィルムを入れた分、空シャッターは切れないけど、週末までは夜な夜な使い方を調べながら、手の中でそのプロダクトの味わいを堪能したい。
もう本当に、これが最後のボディの購入にしたいところだけど、どうだろうね。こればかりは僕にも未来はわからない。できればこれで打ち止めにしたいけど、このF6もゴールじゃなくてプロセスかもしれない。でも、そうした揺らぎも含めて、カメラの奥深さを楽しみたいと思う僕もいる。
あいかわらずフィルム代もかかって、なかなか試される趣味ではあるけど、カメラがあるおかげでささやかながらもいろんな刺激や癒し、発見をもらっている。そういう意味では、趣味から人生みたいなものへと変化しているのかもしれない。人生とはつまり、プロセス。どんなゴールが待っているのかはわからないけど、大事なのはゴールじゃなくてプロセスそのものだ、そんな風に思って今を走っている。