森はいいよ。撮りたい光と影の宝庫だから。

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カメラを持ち写真を趣味にし始めると、この世が光と影で構成されていることに気づく。街中でも、室内でも、光が差すところには一方で影もあって、それはつまりどこにでも存在する世界の有り様なんだけど、それがもっとも溢れている場所が「森」なんじゃないだろうか。朝夕だけじゃなくて、少し太陽が真上に来た時間帯でも、森の中では光と影が交差しまくっている。深い木々の間から差す光とその反対側に作られる影、そしてそのグラデーション。地面を見ても葉の表面の艶やかさの裏側でひっそりと鈍く存在感を放つ影。緑色のアースカラーたちが光と影を纏うと本当に幻想的だ。

大抵の森にはほとんど人もいないから、聞こえるのは鳥の声とじぶんの足音。そこに、じぶんの慎重な息づかいとカメラの厳かな機械音が少しだけ響く。僕はこのシチュエーションがたまらなく好きだ。いい写真が撮れるかどうかはあまり考えていない。もちろん薄っすらとゴールイメージはあるものの、目と頭はひたすら印象的な光と影の織りなす独特の三次元の世界を探す。探すといっても辺り一面が光と影ばかりだから、探すというよりは選ぶという作業かもしれない。立ち止まってはファインダーでのぞいてみて、一度目を離してから露出を計る。「なるほど」、そんな独り言のようなものを呟きながら、絞りとシャッタースピードを合わせ、フィルムを巻き上げる。そして再びファインダーをのぞいてピントを合わせ、撮る。静かに、確実に。そうして撮れたであろう写真はいずれにしてもその場では見られないから、続けて光と影に誘われて歩き出す。そんな一、二時間ほどの森の散歩カメラを毎週末続けている。これぞと誇れるような写真は未だ無いし、何より森の中の写真は他人から見たらどれも同じような写真にしかきっと見えないだろう。でも、それでいい。森の中を撮る時の僕の写真は、誰に見せたいかといえば僕に見せたい、そんな自己満足極まりない写真だから、それでいい。写真だからデジタルでもいいんだけど、そこはフィルムがいい。理屈抜きにアナログな場所をアナログな方法で撮るのが生理的に気持ちいいというところもあるのだろう。

僕の暮らす辺りには比較的近くに森と呼べる場所があり、そこを散歩カメラするのが週末の朝の過ごし方だけど、今日は自転車でもう少し離れた場所に新しい森を見つけた。また僕の週末が少し濃くなったようで密かにうれしい。光と影、言うは易しで捉えるのはとても簡単ではないけど、そうして思い描いた写真が撮れるまでは森が最高の練習場所でもあるだろうし、僕にとって体内に新しい酸素を注入する場所でもある。そこには特別なものはないけど、僕にとっての大切なふつうが存在している。

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