古いカメラがいいなと思うのは、シンプルに奥深いこと。

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Leica M3, Planar T*2/50

僕の場合は、デジイチの中でも機能的にシンプルであろうNikon Dfすら、メニュー画面の中の機能をほぼ使いきれていない。これすべて理解して使いこなしてる人がいるとするなら、それも凄いよなあと思ったりしてるくらい。もちろん、プロの人は極限までカメラの機能を引き出そうとするのだろうから、それでいえば最新のデジイチでも機能が足りないくらいかもしれないけど、僕のような面倒くさがりのただの写真愛好家には、あんなに機能があっても正直チンプンカンプンだし、そんなものをいじってる暇があったら、限られた週末の時間に一枚でも多くのシャッターを切りたいと思うんだな。

それに比べると、昔のカメラは実にシンプルでいい。感度はフィルムを入れたらいじりようがないし、機械式カメラにいたっては露出補正もない。ただ絞りとシャッタースピードを体感露出で合わせて、あとはピントを見てシャッターを押すだけ。このシンプルさが実に気持ちいいのである。けれど、シンプルな中にも露出を決めるゲーム的な要素や、その場で確認できない写りを想像してのレンズ調整、あとフィルム選びや現像の補正の方向とか、実は奥深い。このシンプルな中に掘り進んでいける深さみたいなのがいいんだよね。

カメラやレンズ、フィルムの「癖」みたいなものを追いかけ続ける楽しさとでもいえばいいだろうか。撮った写真をある種強引に撮りたい絵に近づけることはせずに、そのカメラの癖を最大限理解して、それを逆手にとって撮りたい絵を紡ぎ出すような感覚。そういうところに、じぶんとカメラとの共同作業で写真を生み出す楽しがあるような気がする。まあ、写真の楽しみ方は人それぞれだから、ハイテク機能をディープに突き詰める撮り方があっていいし、逆にほぼすべてオートで撮る楽しみがあってもいい。要はじぶんの楽しみたいスタイルのカメラと出会い、そのカメラとコツコツと対話して撮り続けることが大事、いや大事とかそんな大袈裟なことじゃなくて、ただただ楽しいということかな。この複雑な世の中で、オフタイムの時くらい複雑なものから解放されたいからね。

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