使わないとカメラじゃない。

Leica M3, Elmar 50/3.5

僕がカメラコレクターならそれは悪いことじゃないんだけど、僕は別にカメラを収集するのが好きなんじゃなくて、カメラで撮る行為が好きなんだよね。Leica M-Pを手に入れたのはその究極で、その時にも手持ちのカメラを整理しようと考えたんだけど、まあしばらくはじぶんがどの程度それだけの数のカメラを使い回せるのかちょっと様子を見てみようと思った。そして、一、二カ月。そろそろ使わない(使えていない)カメラが分かってきた。

ちょうど半分かな、ほぼ使えずにいるカメラたちを中古カメラ屋さんに戻そうかなと思ってる。持っていればまったく使わないわけじゃないだろうけど、この出動頻度の少なさだととても「使ってあげることが最高のメンテナンス」というレベルには満たない。どれもまだまだ現役で元気に撮れるカメラたちだから、僕の部屋で眠ってしまうよりは、誰か若い人たちの手にでもわたり、頻繁に外へ連れ出してもらった方が、きっとカメラも長生きができる。飾り物のカメラとしてではなく、撮影機材としてのカメラとしてね。

どれも思い入れのあるカメラたちだから、ここではどれを残してどれを手放すという具体的なカメラ名は伏せておこうと思う。どれも飽きたとか嫌いになったというわけじゃなくて、単に僕が使いまわせなくなったということだけなんで。幸い、僕の過去のカメラたちの思い出は、このブログの中に詰まってる。カメラを眺める、カメラの思い出に浸るという意味においては、ブログをさかのぼれば時空を共有することができる。その名も「記憶カメラ」だからね。

残そうと思っているカメラはデジタルが3台、フィルムが3台と、ちょうど半分半分。いまの僕のカメラとの向き合い具合を象徴してる割合。デジタルとかフィルムとかじぶんの中に垣根が無くなった証でもあるかな。そのどれもを頻繁に使いまわしたい。意外とありそうで無い、じぶんの時間の相棒としては適度なカメラの数だと思う。これまで出会ってきたカメラは、所有したかったものというより、その写りや性能、手応えを確かめておきたかったものたちだから、そういう意味では人生の中で確かめることができて、ほんとよかった。どれひとつ欠けていても、いまの僕にはたどり着けなかったと思うから。GWが明けたら、一つ一つ中古カメラ屋に里帰りさせようかな。そんなことを考える四月の終わりの夜である。

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