どうやったら上手い写真が撮れるのかはもはや分からないまま数年。たぶんこの先も僕は上手い写真は撮れないまま、やがて終わりを迎えると思うのだけど、そういう僕を憐れむかのようにたまに写真の神様は「好きな写真」については見せてくれたりする。
フィルムカメラで撮ると、その確率はデジカメより少し上がる。フィルムだから撮ったその時はどんなものが撮れているか分からないわけだけど、現像から上がってくるとね、ほんとたまにだけどね、あ、これ好きかも、という写真を紛れ込ませてくれる。撮った本人すら、何を撮ったのか覚えていないようなタイミングでね。
そういう偶然性が楽しくてフィルムでスナップ写真を撮っているのかもしれない。
思い通りに撮れないならそれを写真と呼んでいいのかというのはあるけど、僕はプロの写真家ではないし、誰かに要望を受けて撮っているわけでもないから、ゴールイメージに向かってシャッターを切るというよりは、あ、なんかいいかも、と思える目の前の光景を記憶しているに過ぎない。
いや、もっといえば、記憶しようとすらも考えないまま、行き当たりばったりでシャッターを切ってるに過ぎない。けれど、不思議とそういう浮遊してるような状態の時のほうが、あとで見ると「好きな写真」が撮れている気がする。この現象に名前をつけたいが、いい案が思いつかない。
人を撮るのであれば、その人にあとでその写真を見せるという目的意識で撮るだろうけど、ひとりで静かに無心でスナップを撮る時、みんなはどういう気分でシャッターを切ってるんだろうか。スナップ写真とはなかなか不思議な行為なのである。
まあでも、兎にも角にもシャッターを押さないと写真は撮れないから、ひとまずじぶんの感覚に素直になって写真を撮る。人様に見せられるような写真かどうかは置いといて写真を撮り続ける。そうして、たまに撮れる「好きな写真」に、なにかじんわり感動などして、また懲りずに次の日も、また次の日もシャッターを切る。
僕の写真とは、そういう偶然性との対話みたいなものであり、大人になっても変わらない一人遊びのような時間なのである。
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