Leica M-P typ240

街や町の片隅を切りとる、ライカという道具。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

街や町の片隅を切りとる、ライカという道具。

ライカ、なかでもM型デジタルを手にして僕の中に変化があったとするなら、それはやはり「スナップ」という種類の写真が増えたことだ。何をもって「スナップ」というのかにはいろんな解釈があると思うけど、僕の中ではある種「撮るに足らないかもしれない写真」とも言える。少なくとも一眼レフでは撮らない写真たちと言えばいいだろうか。

一眼レフで撮る時は、多かれ少なかれ写真の中に「分かりやすく撮るに値する主役」があったりするんだ。僕はポートレートを撮る機会は無いから、この場合の主役は花や植物なんかが多くて「主役」と呼ぶには小っ恥ずかしかったりするけど、それでも「花を撮ろう」みたいな明確な意識がある。けれど、ライカで撮る時はもっと抽象的というか、花を撮りたいというより目の前の空間の空気を撮りたいみたいな気持ちでシャッターを切ってる感覚があるんだ。

これも正確には後付けみたいな説明なんだけど、そういうことすらも無意識に目の前の極々普通の視界、ほんと世の中のたわいのない片隅の姿を写真に収めてると言ったほうが近いだろうか。誤解を恐れずに言えば「何を撮っているのか、ちょっと明確には答えられない写真」、そんなイメージなんだ。

そんな写真に意味があるのか?と言われそうだけど、M型デジタルを手にすると、そんな何でもない写真をほんと無意識に撮るようになるんだ。僕の場合はそうだった。そうすると、当たり前に写真を撮るチャンスが増える。ファインダーのあるレンズ交換式カメラのような少々大げさなカメラでも、特に構えることなくコンデジを持ち出すかのようにラフなシャッターを切るようになったんだ。

デジタルライカのような高価なカメラでなんてつまんない写真を撮ってるんだと言われそうだけど、ライカとは何か高尚な写真を撮るためのカメラじゃなくて、むしろそんなありふれた、一見ありきたりと思える日常をあえて記憶するための、それこそ究極の日常的スナップシューターなんじゃないかと思うんだ。これまで素通りしていたような光景に光をあてるカメラとでも言えばいいだろうか。

デジタルライカを手に入れたら、何かとでも魅力的なロケーションに写真を撮りに行かないといけないとかじゃなくて、むしろデジタルライカがあればそんな劇的な場所へ出かけなくても、身の回りのなんてことない光景がシーンになる。そんな感じといえばいいだろうか。だから、そんな写真を撮ることに無理をしない人にこそ、デジタルライカはおすすめなんじゃないかと思ってる。まさに、僕のようなものぐさな人間にこそね。

なんだか、真のライカ使いの人たちには怒られそうな言い回しだけど、僕はM型デジタルを手に入れて、むしろ写真を撮ることが楽になった。なんか、素晴らしいシーンを撮ろうという気負いが無くなり、なんでもない日常がライカによってシーンになるんだ、そんな風に思えるようになったんだ。こんなカメラは他にはちょっと思いつかない。

僕がまだ知らないだけかもしれないけど、少なくともそこは僕の中では一眼レフやフルサイズミラーレスとは趣が異なる。僕がレンジファインダー機をあえて所有する大きな理由のひとつなんだ。フィルムライカもそういうラフさを持ち備えているけど、フィルムで撮る分だけもう少し慎重にシャッターを切っている気がするのに対して、デジタルはよりラフにシャッターが切れる。それもM型デジタルの気軽な良さなのかもしれない。

まあ、あくまで僕の解釈であって、すべての人に当てはまる話ではないかもしれないけど、そういう向き合い方もあるという一例として捉えてもらえればなと思う。僕にとってライカとは、そういう等身大のスナップを撮ることができる最高の道具なんだ。

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