同じ職場にいちおうカメラ好きの後輩がいて、いつもカメラを手に入れたりするといちおう報告するんだけど、きょうも何気なく二眼レフを手に入れたことを報告してみたんだよね。「ついに最後のピースが埋まった感じ。これでカメラを手に入れるのは終わりだな」とね。
そしたら、その後輩から思いもしない返答が来た。「いやいや、終わりというより、これ始まりじゃないですか絶対」と。え、始まり?何の?その発想は無かった、そんな感じだった。僕は別に茶化したわけじゃなくて、本当に素直に「これで本当に試したいカメラはすべて試した」と思ったからそう報告したんだけど、後輩からするとこらまた素直に「途轍もない始まり感」を感じとったみたいなんだよね。
たぶん、それは「まったく違う次元のものへまた手を出した」というような始まり感に見えたんだろうね。僕にしてみたらバルナックLeica IIIaの延長線上で手にしたつもりのRolleiflex Standardなんだけど、カメラ好きとはいってもデジタルしかやらない後輩なんかから見ると、35mmフィルムカメラの延長線上にはまったく思えない印象なんだろうと思う。そう言われれば、僕もNikon FEでフィルムカメラを始めた頃は二眼レフを使うことになるとは思いもしなかったかもしれない。Rolleiflexにほのかに憧れはあったものの、僕もまた中判カメラであり二眼レフは異次元の世界だと思ってたんだろうね。後輩から「終わりじゃなくて、始まりじゃないですか」と言われるまではそんなこと考えもしなかったんだけど、ふと、なるほどそうかもと。
そこから、後輩にRolleiflex Standard ならではの撮影所作(オートマット式じゃなくて、じぶんで赤窓を見てフィルムの一枚目をセットすることや、フィルム送りとシャッターチャージが別なこと、ピントを合わせるのにルーペを使うことなど)、またスキャニング代がえらく高価なことなんかを話すと、それだけ手間がかかってしかも割高って、それもう完全にやられてる人じゃないですか!と。たしかにやられてるかもしれない笑。でも、手がかかるもののほうが愛おしいとか言うと、納得しつつも苦笑いしてた。すぐ壊れる?昔のイタ車とかを、手をかけて維持してる、そんな感じで見られるんだろうなあ。まあ、ハズレではないけど。
いまのデジカメしか知らない世代だと、仕上がりの写真がよほど特有の良さでもなければ、この手間暇とコストがかかるものをわざわざ使う意味が正直、理解に苦しむ感じなんだろうね。先輩の僕に話を合わせてはくれていたけど、そんなことをふと思った。僕もまだ現像したものを見ていないのに、その撮影所作だけでこれだけ感動しちゃってるのは、やはりカメラ好きにしか分からない感覚なんだろうね。そっか、世間はそんな印象なんだ、ということにあらためて気づいた日なのであった。