というのも、カメラはプロダクトデザインとしても愛おしいんだよね。特に古いカメラはね。適度にキズもあったりして、なんというか年輪を刻んでいくその生きざまみたいなのがカメラにもある。
なかでもライカはやはり存在感としてグッとくるものが何かある。バルナックライカはこの世にコンパクトな35mmフィルムカメラを手軽に持ち歩きたかった!というエネルギーみたいなものを全身で感じるし、M3はそこからちょっと成熟した大人の余裕みたいなものを感じる。
あと、Nikonのカメラも好きかな。無骨で愚直な、派手さとは違う生真面目な機能美といえばいいだろうか。開発者たちの真面目さがすごくプロダクトに現れてるような気がして、僕はそういう内面にも惹かれる。
Nikon F2のデザインなんかはほんと好き。手に持って動かした時の堅牢さもシビれるけど、それを見た目には少しソフィスティケートしたような優美な存在感を放つ。僕の中ではNikon Fよりこの社内デザイナーの描いた“らしさ”のほうがとてもモダンに思えるんだ。
あとはこのNikon F6の背面かな。Nikonフィルムフラッグシップ機の最終モデルである誇りのようなものをこのボディからはいつも感じる。現代のカメラのように背面を大型モニターが占領しない分、そこに何か多くのものが刻まれてる気がする。
あとは現代のカメラということでいえば、このNikon Dfだろうか。僕が持つデジイチのメイン機はこの現代らしくないデザインのDf。フィルムニコンで使用している昔のMFレンズたちを装着でき、当時のフィルムカメラのように軍艦部のダイヤル操作で写真を一枚ずつ撮る感覚は、たとえ現代でも僕のカメラの変わらない本質だったりする。
カメラはあくまで写真を撮るための道具とも言えるけど、僕はこのカメラという存在自体が愛おしいとも思う。小さい頃からあまり趣味と言えるものはなく大人になって年を重ねてきたけど、いまようやく趣味といえるものに出会ったことが密かにうれしい。そして、そのカメラを撮るのもまたしぶんにはとても心地いい趣味だったりするんだ。