何も高いお金を出さなくても写真は楽しめる、とNikon D200は気づかせてくれる。
今朝も手に入れたばかりのNikon D200と散歩してきた。小雪舞う朝だけど、逆に冷たい水で顔を洗うかのようにすっきり気持ちいい空気だ。Leicaなら雪には気を使うけど、D200ならそうした過度な心配も気にならず持ち出せるラフさがいい。
というのも、僕はこのD200ボディを¥15,000ほどで手に入れた。シャッター回数は確認していないけど、見た目も綺麗で操作感も小気味よく、特にカメラに詳しくない人なら、まさかこのカメラが安値のコンデジらと同じような価格だとは思いもしないだろう。それくらい重厚感と高級感がこのカメラにはある。
それはやっぱり、APS-Cフラッグシップ機の揺るぎない品格、品質が漂っているからだろうね。D300を手に入れた時も思ったけど、十数年前のモデルだけど見た目は現行のNikon3桁機の一眼レフたちとほぼ変わらない。むしろ、往年のNikonの自信みたいなものが漲っているかのように凛々しく見える。
写りも、なんといってもCCDセンサー機ならではの抑揚ある世界。これは現行CMOSセンサー機では絶対に得られない何かがある。僕はこのCCDの写りに完全にやられた。最新のフルサイズミラーレス機よりもゾクゾクする何かをこのCCD機から感じるんだ。本能的だといえばいいだろうか。
まあ好きなカメラを手にして撮れれば、値段が高いとか安いとかは関係ないけど、でも何も最新のカメラを数十万円出して無理して買わなくても、例えば若い人ならこうして2万円もしないCCD機を手に入れて、練習がてらガシガシと使い倒すほうが賢く、何よりカッコいいんじゃないかとさえ思える。
その分、レンズや撮影まわりの費用に予算をまわせるし、何より無理をしていないところが「写真を楽しむ」というマインドの部分においてもとても健康的だ。分かる人が見れば「お!」という共感もあるしね。僕はそういう生き方のチョイスはとてもクールだなと思う。外国人の人なんかは安いカメラとレンズをとても上手に組み合わせて洒落た感じがあるけど、アレに近いよね。
生き方がスマートでありクール、ということかな。工夫したりアイデアをこらしたりして、既成の価値観みたいなのを軽やかに超えていく強さでありしなやかさみたいなもの。そう感じさせる空気が、D200なんかを持って写真を撮ってる人には感じるような気がする。
久しぶりに3記事連続でひとつのカメラのことを書いてるけど、それくらい強烈にこのCCD機のD200との出会いに感激しているということ。Twitterに記事をアップしたら、同じように各社の往年のCCD機を好んで今でも使っている人がけっこういることがわかって、それもまたなんかいいなって。
おかげで僕はいま、猛烈にNikon D1を手に入れたくなっている笑。260万画素という、現代のスマホカメラよりも低画素なCCD機カメラで果たしてどんな世界が撮れるのか、想像しただけでニヤけてくる。僕の中でいま「オールドデジタル」が密かなブームなんだ。