土曜日の朝、とてもゆっくりとした時間が流れている。朝の冷え込みはすっかり冬のものとなり、少し厚着をして愛犬と家を出る。僕は寒さにすくんで多少からだを丸めながら歩くのに対して、愛犬は意に介さずいつも通りとびきりの元気さで飛び跳ねる。
もうひとりの相棒Leica M-Pは、いわゆるM型デジタルといわれるデジカメだが、僕との日々はずいぶんマニュアル的だ。ISO感度はオートではなく200にセット。背面モニターは「確認しない」つまりオフ。ホワイトバランスはあまり差がないからオートにして、SSは絞り優先モードに託す。
少し前のブログにも触れたけど、「背面モニターをオフにして見ない」というのは実におすすめだ。撮ったその場で写真は確認しないから、撮れた写真を確認するのは家に帰ってメモリーカードをMacBookにつないでからだ。つまり、フィルムカメラの現像があがってから写真を見るのとリズム的には変わらない。
それがとてもいい。いや、フィルムカメラがいいと思うのはフィルム写真の質感よりむしろこの「撮った写真を確認するまでの時差」かもしれないというくらい、それがいい。
だって、僕ら人間は「分からないもの」に惹かれるからね。未来のこともそうだし、古代の歴史の不思議さもそうだし、ゲームの行く末もそうだし、恋愛だってそうかな。とにかく結末が分からないものの方が無性に心を持っていかれる。
ピントも目測だからアマアマだけど、それがいい。実際僕らの暮らす日常は曖昧なものだらけだから、少し曖昧な目測の描写のほうが生の視界に近いとさえ思う。
レンズのズミルックスもいつも通り、絞りは開放だ。f1.4の大きなボケは僕のあまいピントを許容するかのように、曖昧な写真の世界に付き合ってくれる。
僕の撮る写真は記録ではなく記憶だから、曖昧なことは悪ではない。そもそも僕の記憶が曖昧だから、少々曖昧な写真のほうが記憶には近い。
そういえば僕のブログなんかを見てズミルックス2ndの作例を参考に、同じくズミルックス2ndを買われたという人がいた。曖昧な作例であることは申し訳ないけど、多少レンズ選びの参考になったならうれしい。
現代の優秀なハイテクカメラと正確なレンズで撮るのもいい。けれど、人生はわかりすぎない、写真は仕上がりがすぐ読めないくらいが、好奇心にはいい。
人生なんか、その先がわかりすぎたらおもしろくない。苦難があったとしても、わからないくらいのほうがゾクゾクと楽しめる。僕は完全にそっちのパターンだ。デジカメで撮っている人たちは、ぜひ試しに背面モニターをオフにしてみてほしい。そこには想像以上のワクワクが待っている。