Leica M-P typ240

フィルムライカとデジタルライカの境界線。

Leica M-P typ240 & Leica M3

フィルムライカとデジタルライカの境界線。

結論からいうと「境界線なんてほぼ無い」のだ。異論がある人は相当いそうだけど、少なくとも僕の中には境界線を感じさせないことこそがライカの真骨頂だと思ってる。

いや、物理的にはもちろん境界線はある。片やフィルムを使ってフィルムチャージレバーもあるわけだし、片や電池を使いフィルムチャージレバーは無い。シャッターフィールだってもちろん異なる。撮れる写真の質感だって、フィルムとデジタルだからもちろん異なる。

けれど、その使用フィーリングという点でいえば、その物理的な違いが嘘のように両者の間に違和感という名の差異は無い。だから、M型デジタルはちょっと納得し難い高価なプライスタグが付いてるわけだけど、M3のあのフィーリングのままでデジカメを使いたいと思うと、もうM型デジタル一択になってしまうわけである。

僕は完全にそのタイプ。もし僕がフィルムライカM3を使っていなかったら、いきなりM型デジタルを手にすることは無かったと思う。フィルムライカは未経験で、初めてのライカがM型デジタルです、という人をたまに見かけるけど、それはけっこう大胆なカメラ選びで、僕なんかはただただ凄いなあと思って見てる。ある意味、ライカのブランディングの勝利でもあるから、それもまた凄いんだけど。

普通、人間って過去の成功には敬意を表しつつも、新しいカメラの開発を任されたとしたら、やっぱ自分色に変えたいと思うんだよね。けれど、M型デジタルに至ってはむしろM3に近づけることに執念を燃やしたデジカメ開発に見える。M3がそれほどまでに凄いのか、それともM3の成功の呪縛から逃れられないのか、それは分からない。

まあでも、古くからのライカユーザーからしたら、これ以上完璧はないというくらい素晴らしい進化なんだよね。こんな書き方すると、最新のM型デジタルの革新を日々追求しているライカ開発陣の人たちからは怒られそうだけど、これは最高の褒め言葉なんでそこはご容赦いただきたい。

フィルムライカとデジタルライカが一緒なんて、こいつ何クレージーなこと言ってんだといわれそうだけど、これがユーザーの一人として僕が思うライカの姿なのである。大事なのは物理的に同じにすることじゃなくて、感覚を同じにすること。とても尋常ではない高度な技術の証だと思う。

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