Leica M-P typ240

カメラとは特別な日に持ち出すモノと思っていた。日々、ライカ。

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Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

カメラとは特別な日に持ち出すモノと思っていた。日々、ライカ。

というのも、じぶんにとって幼い頃からの写真に対するイメージは、父親がカメラで残してくれた写真たちのイメージだからである。

僕が幼かった頃に家族で出かけた行楽地の写真であり、幼稚園の合唱コンクールの写真であり、少年野球チームで僕がプレーする写真。そこには人が写り、何かしら普段とは違う特別な日の思い出が写ったものが「写真」だったわけである。

だから、まさかじぶんが大人になり、それもかなりいい歳をしたおじさんになって、人も写っていない、特別な日でも何でもない、こんな街の中の平凡な日常をカメラで撮るようになるなんて、考えてみると想像を絶する出来事かもしれないなと。

いわゆる、街撮りスナップである。まあ、このスナップとか街撮りって言われるものも人によって認識はまちまちだから、あくまで僕の中の街撮りスナップの話ではあるんだけど。

でも、どうだろう。カメラをやっていない人からすると、この写真の何がおもしろいんですか?ということだろうと思う。それはそうだ。僕だって、写真とは「ひとが写って、何かしら特別な日のもの」と思っていたわけだから。

この話は、他の人からも聞いたことがある。職場の人なんかから「趣味は何?」とか聞かれて「カメラです」なんて答えると、撮った写真を見せてとか言われるわけだけど、じゃあなんて言いながら街撮りスナップの写真なんか見せると、???みたいな顔されて「この写真は何がおもしろいの?」なんて聞かれたりしてね笑。

いや、もう僕はそんな写真の量産だから、そんな風に言われて凹む人の気持ちはとてもよく分かって、と同時に「むやみにカメラが趣味とか言わないほうが平和だな」とか思うわけである。一緒である。

こういう街撮りスナップ写真の何が楽しいの?とか、説明はむずかしいのである。じぶんとしては楽しいから撮ってるわけで、それを「何が楽しいの?」と言われたら、それ以上は説明のしようが無いなと笑。そんな経験の人、けっこういるんじゃないかな。どうだろう。

じぶん的には、街撮りは小さいけど壮大な実験場みたいなところがあってね。感度の実験、ボケの実験、ブレの実験、一枚一枚クイズに挑戦するかのように街に挑んでいるというか、撮りたいと頭の中で想像した通りに撮れるのかとか考えながらシャッターを切るのが最高に楽しい舞台なのである。

そうして撮った街の写真はたしかに平凡なものかもしれないけど、例えば数十年後に街の記憶として写真を振り返ったら、それは決して平凡なものじゃなくなる、という思いもどこかあるしね。まあ、何にしても本人的には楽しいから撮るわけである。

高価といわれるライカで、他の人からみればまったくおもしろみを感じない街撮り写真を撮り続けてることは、なんかもうパンクすぎて冷静に考えると「じぶん、大丈夫か?」なんて思うわけだけど、これで僕は生き返ったり救われたりしてるわけだから、大丈夫なのである。

この話に結論みたいなものは無いんだ。理屈で説明しようとすると破綻するから、意味不明のままのほうがいいし、そのあやふやさこそが街撮りスナップの何かなんじゃないかと思う。この話、共感してくれる人いるのかなあ。

いや、いないかもなあ。でも、いいやと。僕はこれからも、こんな意味など微塵もないかもしれない写真を撮り続けるんだと。僕が心地よくあるためにね。そんな写真がもしかしたら数十年後の誰かのために残せるなら、なんて思いながら今日も街角で一人、シャッターを切り続けるのである。壮大なる平凡な写真たちのためにね。

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