日記のようなもの

豆を挽く。珈琲を淹れる。時間が止まる。

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煙草をやめて1ヶ月。いろんな変化があるんだけど、その中のひとつが「珈琲を淹れて飲む」ようになったこと。仕事場ではドトールの淹れる自販機があるからそれで。ランチの時はアイスコーヒーをやめてホットに。自宅では妻が以前使っていたマシンを出してもらってじぶんで豆を挽いて珈琲を淹れるように。とにかく一日のうちに数度、あったかく淹れた珈琲を飲むようになった。理由は、からだが煙草の代わりの何かを求めてるところがあるのと、ネットで珈琲はからだに良いという記事を最近見たから。そうだ、少し前にテレビ番組で”珈琲男子”なるものの紹介を見たことも残像としてあるかな。まあ理由はともかくとして。

珈琲を淹れるプロセスっていうのがこんなに心地よいのか、と発見したりしている。まず豆を挽く。写真のような器具で挽くんだけど、このデジタル家電の時代に手でギーコギーコと豆を挽く時間ってのはなんとも言えない時の流れ感がある。香り。これがたまらない。たぶん煙草をやめて鼻がよくなったこともあって、ものすごくいい香りに浸れる。ちょっと言葉では表現が難しいくらい、すごくいい香り。で、マシンがお湯を注ぎ始めるとグツグツといかにも素晴らしいものが抽出されている段階へ。で、カップに注ぐ。泡が立つ。小さなプロセスなんだけど、なんとも言えない幸福なプロセス。このすべてが慌ただしく目の前をドドーと流れていく時代にあって、この一連のプロセスをしている数分間は、まるで時間が止まってるかのような穏やかな時間が過ごせる。

珈琲という飲み物が世界中でこれほど愛されているのは、味だけじゃなくて、この淹れるプロセスが人間に心地いいからなんだろうな、と思う。それくらいこのプロセスには人を豊かにする何かがある。いまの珈琲豆がなくなったら、次の新しい種類の豆を買いに行くのが今から楽しみでしょうがない。

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