Leica M-P typ240

時として予測がつかないからおもしろい、ズミルックス。

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Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

時として予測がつかないからおもしろい、ズミルックス。

僕が所有するズミルックスは、いわゆる第2世代と呼ばれるもので、世の中的にはオールドレンズと呼ばれる部類になると思う。それをフィルム機のLeica M3とデジタル機のLeica M-P typ240で使う。ライカの良さはこうして時代を問わずレンズが共有できるところだ。

僕の場合だと、このズミルックスは主にデジタル機のM-Pに装着することが多い。なぜなら、ss 1/1000のM3に対して、M-Pはss 1/4000まで高速でシャッターを切ることができるから。つまり、f1.4のズミルックスを開放付近で撮ることができる。

この秋桜の写真はまさにズミルックス50mmを絞り開放で撮ったもの。いわゆる「暴れる」と表現される部類に入ると思うし、「フレア」が激しいといえばそうとも言える。けれど、このダンスのような大胆な揺らぎこそがズミルックスの魅力だと僕は思っている。

絞ればそれはそれでシャープに写る優秀なレンズなんだけど、それは同時に個性が薄まることも意味する。端正に撮りたいなら最初からズミクロンかエルマーで撮ったほうがいい。ズミルックスを装着するということは「振り切る」ことを前提とする、僕はそう思ってる。

そうすると、ズミルックスは水を得た魚のように実にのびやかな描写を見せる。言い方を変えれば、僕の陳腐な想像などを軽々と超えて、ちょっとドキッとするような一枚を紡ぎ出す。良くも悪くも、ズミルックスは「普通」に背を向けるんだ。

世の中なんでも、予測できてしまうものは便利で安心だけど、一方で激しくタイクツだ。人間は「驚きたくて、生きている」と僕は思っている。ことレンズに関していえば、その驚きに最も最短距離にいるのがズミルックスなんじゃないかと思ってる。ズミルックスで撮ることは、開放なんだ。失敗も含めての可能性の開放。

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