フィルムかデジタルかという意識を無効化するカメラたちが好きだ。
実際、今の僕はフィルムなのかデジタルなのか意識することなく、日々いろんなカメラを楽しんでいる。そうできているのは、そもそもそのカメラたちがフィルムであるかデジタルであるかを意識させない作りのモノたちだから、ということに尽きる。
今朝は今週手に入れたNikon EMの試し撮りをした後、そのレンズ Series E 35/2.5をNikon Dfに付け替えて、また散歩カメラへ出かけた。つまり、フィルム機からデジタル機へと持ち替えたわけだけど、じぶんの中ではEレンズがシームレスな架け橋になって、かつ操作感覚も二台に違和感は感じないから、極々自然な事としてフィルムとデジタルを無意識かのようにまたいでいる。
所有するその他のデジタル機たちも、共通するのはその一点だ。Leica M-P typ240、FUJIFILM X-E3、そしてNikon Z6も、選んだ理由は「フィルムかデジタルかという意識を無効化してくれるであろう」という基準で選定して購入していると言っていい。これまでトータルすると40台ほどカメラを使ってきて、自然とそういう嗜好を満たしてくれるモノたちに落ち着いた、そう思っている。
もちろん、見た目も重要だ。僕のカメラたちは、カメラにあまり詳しくない人からするとよく間違われる。Dfを持って行ったらフィルムカメラですか?と言われたり、FUJI機を持って行ったらLeicaですか?と言われたり笑。むしろカメラに詳しくない人のこういうパッと見の意見は、素直な解釈としてとても参考になる。そう、僕の解釈は間違っていないんだなと。
それこそ、昨夜、FUJIFILM X-Pro3がプレ発表されたけど、X-Pro3のコンセプトなんかは「フィルムかデジタルかを無効化させるモノ」そのものだよね。FUJI機の開発陣たちは絶対、クラシックカメラおたくの人たちだと思うけど笑、そういうカメラを手にすることでフィルムかデジタルかなんて議論や境界線を超越してしまう体験は、なかなか衝撃的な人生のアップデートだと思う。
その極め付けがライカとも言えるけど、フィルム時代からデジタル時代へと企業のあり方を根底から変えるような出来事を逆手にとって、こうしたハイブリッドな魅力を手に入れたことは凄いとしか言いようがないし、尊敬の念すら抱く。ライカが高価なのは単にブランドの見え方という建てつけではなくて、このフィルムかデジタルかという意識を無効化したことがすべてだと僕は思っている。
写真とカメラの魅力はひと口には言えないけど、このポイントは少なくとも僕のような嗜好の人間たちには最高で最強だ。そして、そういうコンセプトでぐいぐいと未来を切り裂いていく姿を常に見届けていきたいという強い愛機精神と好奇心に満たされている。じぶんで言うのも何だけど、カメラといい関係で走れてるんじゃないかと思っている。