僕は人生長らく趣味と呼べるものが無くて、休日になればクルマを磨いてそのままドライブに出かけるような、まあこれもクリエイティブと言えなくもないけど、やれ読書や映画鑑賞と同じく、履歴書の趣味欄の定番のような極々平凡な趣味しかやっていなかったわけである。
それもだんだんと仕事が忙しくなるにつれて趣味というほど時間も取れず、まあカッコよくいえば「仕事が趣味です」みたいな生活。でも、これでいいわけがない。人間にはクリエイティブな時間が必要なわけで。これはもう絶対で、放っておくと「現実」みたいなことを言いわけに、あまりに泥臭くリアルな世界に浸かり、それを「しょうがない」と肯定してしまうところがある。
でも、この複雑怪奇な世界の中で、唯一「美意識」みたいなものを備えるためには、人間の本能が歓ぶクリエイティブなことを頭と身体に注入しないといけないと、歳をとって本当に切実に思うんだ。そういう時間を蔑ろにしちゃいけないって。
それは何も小説家や芸術家、音楽家や建築家なんかを仕事にした人だけのテーマではなくて、極々一般的に暮らしている僕ら普通の人間にだって当てはまること。だって、人間の本能を満たす話だからね。
とはいえ、大抵のクリエイティブなことは、技術を必要とする。音符が読めるとか、デッサンがめちゃくちゃ上手いとか、歌声が素晴らしいとか、一級建築士の資格を持ってるとか。これは、なかなかのハードルを要する。そこからすると、写真というのはカメラを手にすれば、ひとまず写真は誰にでも撮れる。これは、かなり画期的なことだと思うんだ。シャッターさえ切れれば、写真という表現を生み出すことができるんだから。
もちろん、写真のプロから言わせると、そんなもんで写真が撮れるとか言って欲しくないと叱られそうだけど、プロじゃなくてアマチュアの趣味ならいいんだよ、それで。プロと同じ機材を使って写真を撮ってみたいと思うその心持ちだけでも、どれほどクリエイティブなことかと。僕はそう思う。
プロと同じ機材はもちろん数十万円する高価なものだけど、それだって車でいうところの最高峰F1カーを買うわけじゃないから、なんとかお金を貯めていけば買えないことはない。ましてや、僕が愛するフィルムカメラあたりだと中古で数万円で手にすることができる。それでいて、クリエイティブじゃないかといえば、これがめちゃくちゃクリエイティブな時間を共にすることができるわけである。
光と影、色彩、焦点距離、露出、レンズの癖、ボディのメンテナンス、どれをとってもめちゃくちゃ脳と手のクリエイティブな神経を刺激しまくってくれるわけです。こんな、手に入れやすく、かつ今日からクリエイティブになれるものを僕は他に知らない。僕がカメラをおすすめする最大の理由はそこにあるかもしれない。
あまりに日々が忙しくて、かつての僕のように知らず知らずのうちに抜け出せないような窮屈でマンネリしてしまっている人にこそ、カメラをせびおすすめしたい。もしくは、時間はあるんだけど無趣味で時間を持て余したり変化のあまりない日常を送っているという人こそ、ほんと騙されたと思って、今日の帰り道にカメラ屋へ寄って、直感でいいなと思ったカメラと一緒に帰宅してほしいのである。
そうそう、あと必要だとすれば、Twitterで同じようなカメラ好きの人たちをフォローしてほしい。生きた取説とはこの事で、そこには生きた教材が山のようにあって、あっという間にカメラの使い方や楽しみ方は分かると思う。そうすると、気になる写真家の人やその作品も現れてくるし、じぶんが撮りたい世界も徐々に明確になってくる。そして、そこへ向かっていろんなチューニングを行なっていく。このプロセスが何よりクリエイティブなんだ。
写真はスマホでも撮れるけど、クリエイティブなチューニングとなると、そのための道具であるカメラで撮るのがいい。というか、カメラとはそういうじぶんをクリエイティブにするための表現の道具だし、それをアマチュアでも手軽に手にすることができることこそが発明なんだ。ちょっと自由に書きすぎたかな。いや、これが僕の素直な思いということで。