10年以上前の製品とは思えないD300の上質さは、当時のNikonの凄みを感じる。
きょうは雨だったこともあり、日中は部屋の中で先週手に入れたデジイチNikon D300を眺めたり触ったりしていた。近ごろの僕にとってのメインカメラはフィルムカメラで、デジカメはサブ。このD300もフィルムカメラ用のMFレンズをマニュアル撮影で楽しんだり、たまに息子のスポーツシーンを望遠で撮れればいいなくらいの気持ちで、手頃な価格でお店のショーケースに並べられていたD300を選んだ。
発売から10年、いくら当時のDXフォーマット(APS-C)のフラッグシップ機とはいえ、さすがに10年の年月は古さは否めないだろうと思っていたんだけど、それはいい意味で大きく裏切られた。とても、いいのである。というか、その上質感や威厳のような佇まいでいえば、以前僕が使用していた現行フルサイズ機のNikon D750よりもいいかもしれない。触れば触るほど日に日にそう思い始めた。
もちろん、スペックだけを見れば、D750の圧勝だろう。特に感度でいえばD300は実用でISO1600くらいが限度だろう。軽さでいってもD750のほうがフルサイズでありながらずいぶんと軽い。でも、それくらいの違いしか感じないのである。実際、D300を手にしてみて本当に驚いている。これが当時のNikonの凄みなのかと。
昨日たまたま家電量販店に寄ることがあったんで、あらためてD750にふれ、操作性やシャッター音なんかをしぶんなりにD300と比較してみたんだけど、やっぱりシャッター音もD300のほうがソソるものがある。連写の動作やその感触もD300はなんというか大人の余裕があるというか、実に仕事人的な趣のあるいい動きをするのである。
考えてみると、昨年D500が登場するまではD300やD300sが実質的なDXフォーマットのフラッグシップ機だったともいえるわけで、そこにはNikonの意地というかプライドが込められていたのかなと。最新のD500はもはや化け物のようなハイテクの塊のような高次元スペックだけど、写真を撮るという基本性能に関していえば10年前のD300でNikonはすでに成熟の域に達していたのかもしれない。それくらい、D300はその存在感が完成の域にある気がする。
僕が今回、再びデジタル一眼レフを手にした理由は、もっとライトで肩の力を抜いたものだったんだけど、このD300がなんというかカメラの本物感みたいなものを僕に感じさせてくれた。
なんかこういういい意味で期待を裏切られる感じっていいよね。しかも、それが年代物であればあるほど、感動は大きくなる。半世紀前の機械式シャッター機てあるNikon F2やLeica M3のそのオーバークオリティな質感もそうだし、当時の作り手の人たちの思いとか迫力みたいなものを時空を超えて体感できているようで、なんともいえない高揚感がそこにはある。
現代のプロダクトはとかくハイテク競争に重きを置きがちだけど、こうした道具としての基本性能を磨きあげた職人芸的製品のよさこそ、プロダクトのよさをフィジカルに堪能する最高性能かもしれない。ひょんなことから巡り会ったD300だけど、単なるサブカメラにしておくのはもったいない。
Nikon社の修理対象期間は終了しているようなのでそこだけは残念ではあるけど、フィルムカメラたちと同様に、それこそ壊れ果てるまでじっくり使い込んでみたいなと考え始めている。
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