
夢の中だってモノクロじゃない(僕はそう)のに、ましてや目の前に視界はすべてカラーなのに、なぜモノクロがしっくりくることがあるのはなぜなんだろうね。
モノクロはある意味、実在しない配色の世界。そういう意味じゃフィクションだよね。なのに、モノクロのほうがむしろ目の前の肉眼に近いと思えることがけっこうある。
モノクロはたぶん、カラーの撮影・投影技術ができる前の「完全に完成しきれていない技術」だったんだろうと思うけど、もしいきなりカラー技術が発明されていたとしたら、その後モノクロという写真ジャンルは確立されたであろうか。
それにしてもモノクロ写真といってもその写真の見え方の幅は広い。Twitterのタイムラインに流れてくるモノクロ写真はどれも異なり、受ける印象は実にさまざまだ。でも、そのカメラを向けているであろう現場の空気感は、モノクロのほうが伝わってくる感度が高い。
僕は写真はもちろん、モノクロ写真についてだって全然詳しくないんだけど、この一見シンプルなんだけど沼のように深く吸い込まれるような世界観を、すこし追求してみたいなと思ってる。答えはあるのかな。いろんな人のモノクロ観にも耳を傾けていきたいと思う。
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モノクロ写真は、色彩が取り払われたことで、物体の質感が際立つ。
特に金属光沢。人間の皮膚や瞳の輝きなども。
ここに、カラーと比較した場合の、大きなアドバンテージがある。
ところで、モノクロ写真の発明は、これを初めて見た人類に、絵画とは比較にならないリアリティのある「コピー世界」を、初めて見せることになった。
明暗のグラデーションだけで、世界が現実そっくりに感じられることを、初めて人は知ることになった。
人間は、カラーでしか世界を見ることができないので、色の無い世界というものを、水墨画やデッサン画程度にしかイメージできなかったのではないか。
歴史的には、カラー写真登場までの、技術的な「つなぎ」だったけれど、写真家は、当然のごとく、モノクロ写真に独自の価値を見出した。
ぼくらも、当然のごとく、それに共感する。
僕の片言の説明を右京さんがぜんぶカバーしてくれました。ありがとうございます。モノクロは未完成なんじゃなくて、人の思いみたいなものを付加する余地が残された写真なんじゃないかと思います。色彩は足りていないけど、それを埋め合わせてお釣りがくるくらいの物体の質感や人間の感情をプラスして印象が完成するから「強い」し「肉眼の印象に近く感じる」のではないかと思いました。写真の世界はどこまでも深い。いい歳になってからこんな無限大の学びと楽しみに出会えたことに本当に感謝しています。
読んで思い出したのは、益川敏英さんの若いころのお話でした。
友人と映画を観た後、登場人物の服の色の話になったのだそうです。益川さんは赤だと言い、友人は絶対に青だった、と言う。ふたりとも絶対にゆずらない。じゃあ今からもう一度観に行くか、ということになって見てみたらモノクロ映画だったそうです(笑)
わたしにとっては、この話がとても印象的でよくこのことを考えます。モノクロの方がきっと、こちら側の内部で補完しようとするちからが豊かになるのでしょうね。
とてもおもしろくてモノクロの魅力を言い表したエピソードですね。僕が言いたかったことを右京さんに続いてsachiさんが補完してくれました。ありがとうございます。写真というものはもっとシンプルな印象があったのですが、こうしてじぶんで撮ったり考えたりし始めると本当に奥が深いですよね。そして、いろんな方が写真を通して語りかけてきてくれたりする。そういう意味でも奥深いです。あ、sachiさんの今日のブログもとても読み応えがありました。いつも楽しみにしてます。