Leica M-P typ240

Hello, 記憶カメラ2019.

Leica M-P Summilux 50/1.4 2nd

きのうまで2018年だったのに、今朝になって「2019よろしく」というのもどこか小っ恥ずかしく思うけど、まあこれが正月というものだ。というわけで、2019年もブログ「記憶カメラ」をよろしくお願いします。

今朝も僕のルーティンである愛犬との散歩カメラからスタートした。ふだんと代わり映えのしない元旦ともいえるけど、これが僕にとっては顔を洗うような、朝ごはんを食べるような行為だから、じぶんとしてはからだとあたまがシャンとして気持ちいい。カメラはLeica M-P typ240と第二世代ズミルックス50だ。

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今朝いちばんに〈はてなサテライト版〉に書いたんだけど、このメインブログとサテライトブログの棲み分けとして、あっちは〈モノクロ版 記憶カメラ〉にしようと、ふと思い立った。だったら、こっちはカラーがいいんじゃないかというはずなんだけど、あまりにも頭の中にモノクロという文字がこびりついちゃって、結局今朝はモノクロオンリーでの散歩カメラとなった。

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そういえばここ最近、M型デジタルの中でもM Monochromを選ぶ人が多いような気がする。いわゆるモノクロ写真しか撮れないデジカメだ。だからといってお安くなっているかというとそんなことはない。つまり、7桁の価格帯を払う(中古にしたってレンズ代を入れたらそんな価格になるはず)のにモノクロしか撮れないカメラを敢えて選ぶのである。そこには、とんでもなく思い入れがあるとしか言いようがない。

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モノクロを愛し、こだわった結果、モノクロ専用機を選び、モノクロだけを撮るという選択に至るんだろうけど、ではモノクロには一体どんな魅力があるのか。これは誤解を恐れずに僕の見解でいうと「モノクロのほうが何かが混ざる」と。現実世界はカラーだ。僕らの目に見える色付きの世界が本当の世の中の色かどうかは置いておき、何かしら色がついている。それをモノクロにするというのは、現実をある見え方に変換してるともいえる。

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写真の世界がかつてモノクロ写真から始まったから、モノクロ=古いモノという概念が僕らの頭の中には刷り込まれてるけど、むしろカラー写真こそが現実を再現したゼロ地点で、そこから引き算という手を加えたモノがモノクロ写真ともいえる。それはアートへの変換ともいえるし、ヴィンテージへの変換かもしれない。異論はあると思うけど、僕は個人的にそんな風に思う。

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それは、今の若い人たちがフィルムカメラに魅せられるのと少し似ているかもしれない。現実の世界は決して美しいばかりではない。だから、現実を記録しようとするスマホのカメラなんかで撮ると、良くも悪くも汚い部分も写り込む。リアリティといえばそうなんだけど、実は僕もこの写りすぎるベタッとした画像の世界が苦手だ。だから、iPhoneで撮った写真はしばしばアートフィルターをかけたりモノクロ変換する。僕がフィルムカメラに魅せられたのは、まさにリアルをいい塩梅に打ち消してくれる何かがそこにあったからだ。

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僕にとってのモノクロはこのフィルムで撮る写真の意味合いに近い。現実の世界を受け入れつつも、じぶんの目を通して紡ぎ出すファインダー越しの世界はどこか美しくありたい、そう思うんだ。いや、実際、僕らの目に見えている世界はありのままではなくて、フィルムやモノクロに写り込む写真の世界こそが現実のカタチなんじゃないかと期待を込めているところすらある。でなかったら、僕はiPhoneカメラ以外にこれほどまでカメラやレンズを所有したりしない。いたずらに美化する道具とは思わないけど、それが「表現」なんじゃないかと思っている。

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表現ということでいえば、モノクロは見る人のイマジネーションを刺激する。モノクロであるがゆえに、その写真を見る人はそこにじぶんなりの色を重ねようとする。つまり、答えより問いであるのがモノクロの最大の魅力。ひとは答えを提示されるより、圧倒的に問いを提示されることに惹かれる。それもできれば答えは一つじゃなくて、見る人によって無限のバリエーションがある問いがいい。それにモノクロは素晴らしく合致する。

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色だけじゃない。人によって音を重ねる人もいれば、手ざわりを重ねる人、カラーでは見逃しそうな繊細な光と影をそこに見出そうとする人もいる。そういう表現者が求める問いを突き詰めていった先に、Leica M Monochromといった究極の表現機材が生まれるのかもしれない。僕はモノクロ専用機は持っていないし、そこまで表現を追求する腕もないけど、せっかくデジタルカメラというカラー&モノクロが機能一つで撮れるなら、モノクロも積極的に撮っていきたいと考えている。なんだかモノクロ写真の話ばかりになったけど、これが2019年元旦に思う僕とカメラと写真についての思いである。

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