なんてことない写真なんだけど、散歩カメラのよさは、その派手じゃないところにあるように思う。絶景を撮るわけじゃないし、いつもと違う珍しいものに遭遇するわけじゃないから、撮ろうとする世界は自ずと些細な変化だったりする。それは光だったり影だったり、季節の変化のわずかな揺らぎだったり。そういうふだん見過ごしそうな小さな世界に目がいくのが散歩カメラの醍醐味だと思う。
カメラは何だったいい。一眼レフの時もあれば、ミラーレスの時もあり、フィルムの時もあればデジタルの時も。僕の場合はこの記事にあるようにデジタルライカのことが多いかもしれない。それは、いつも通り慣れた特に変わりばえしない道だから、フィルムで撮るのはさすがにもったいない気もして、愛犬とのルーチンの散歩はもっぱらデジタルだ。
Nikon DfやD300、FUJIFILM X-E2を持ち出すこともあるけど、こうして無意識に選んだ写真たちを見ると、散歩の時は静かでありたい、もしくはカメラを空気のような存在にしておきたいのか、Leica M-Pにオールドレンズをつけて撮っていることが多いみたいだ。
じぶんでも毎度よく飽きずに撮ってるなと思うけど、散歩カメラの場合は撮りたいからカメラを持ち出しているというよりは、ついでにカメラを持っているという感覚だから、気負った感じはなく、とても気分はニュートラルだ。何か似た行為を思い起こすとするならば、子どもの頃に虫眼鏡を持って地面の土いじりだったり土遊びみたいなことをしていた感覚に近いかな。
ほんとに小さな小さな世界に目をやる感じ。そして、光と影が交錯する場所なんかを見つけると、やったあという感じでカメラを向ける。
たぶんご近所のひとたちは、あのおじさん、こんな特に変哲のない場所で何を撮ってるんだろうという感じだと思う。珍しい花が咲いてるわけでもないし、昆虫がいそうな場所でもない。ただの草むらだったりするからね。
でも僕にとってみれば、ただの草むらなんかじゃない。そこには大袈裟に言えば地球の片鱗みたいなものを感じてシャッターを切っていたりする。おかしいかな、でも実際そんな気分なんだ。
小冒険みたいなものかな。そうだ、バルナックライカIIIaを手に入れた時に、そのバルナックで撮り歩く感じが小さな冒険の世界に近いなと感じたんだけど、近ごろの僕はカメラで小冒険をしてるんだ。
愛犬と草むらに分け入って、辺りを観察しながら、うんうんと愛犬と妙に二人で納得しながら写真を撮るちょっとしたやんちゃでクリエイティブなひととき。そして、それがこのややこしい世の中の時間の流れを少しだけ変えてくれる。
おもしろいよなあ、カメラは。平日に街中でスナップ撮るのもおもしろいけど、こうしてなんてことない日常を撮るのも心洗われるんだから、ほんと持ち歩いてるだけでずいぶん気持ちを持ち上げてくれる道具だと思う。
カメラは構えるけど、こころは構えない。以前そんなことをブログに書いたけど、もうこれはほんとそうでね。カメラが趣味だからといって、何も撮るもの自体がユニークである必要はまったくない。気負わず、ただただシャッターを切るだけを楽しんでもいいし、他の人が見たら普通すぎる写真を撮るのでも全然いいんだ。だって、いい写真かどうかを決めるのは、まず最初にその写真を眺めるじぶんなわけだから。これでぜんぶかな、さっと抜き出した僕のここ数日の散歩カメラ。こういう些細な世界が僕のエネルギーだったりする。