思い出ってくらいだから、本当はどこかへ旅行に行ったとか、派手な体験をしたとか、いかにも思い出づくりっぽいことが記憶として残ってるほうがソレっぽいんだろうけど、僕の場合はけっこう断片的な些細なシーンをいくつも思い出として覚えている気がする。
学校の廊下から見た窓の外の雷とか、通学路の川の淵とか、小さい頃に見ていた夕日が沈む様子とか。どれもイベント性とかはない普通の記憶。そういう意味では、思い出はつくるもんじゃなくて、残るものなんだろうね。無理して思い出をつくろうとするんじゃなくて、その瞬間瞬間を感じる。そこに何かしらのじぶんの感性が合うと、結果として思い出に残る。
写真も同じかもしれないね。僕は何か仰々しい写真より、ふつうの日常のワンシーンを切り取った写真にいつも惹かれる。実を言うと東京カメラ部のような写真は苦手だ。何かこう手が加えられたような写真は思い出とは違うからなのかな。まあ、写真の解釈は人それぞれでいいと思ってるので、あくまで僕の個人的な写真観。思い出のありようと写真の存在についての話でした。さて、きょうも長い一日になりそうだ。
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