カメラへの思い

カメラは、撮るクスリ。持ち歩くクスリ。

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きょうはあまりに忙しくて、カメラで一枚も写真を撮ることなく終えようとしている。まあ、そんな日もある。それでもカメラを持ち歩いていることが大切で、カメラはお守りでありクスリだ。

一枚も写真を撮らないのにカメラを常に鞄に入れて持ち歩くのは、考えようによっては重りを持ち歩いているとも言える。最近は突如としてリモートワークになったりするから、鞄には常にノートパソコンも入っていたりして、そのうえカメラもとなると体が斜めに傾くほど重い荷物を持って移動していたりする。

ちょっと頭の中にもよぎる。カメラを持たずに過ごす一日があってもいいんじゃないかって。もしもの時はスマホカメラがあるわけだから、そりゃそうだ。けれど、そういう時にかぎって、目の前に現れたりするのだ、シャッターを切りたくなる瞬間が。

何度かそういう経験をして、結局は何処へ行くにも常に何かしらのカメラを持参する体質というか生活になった。なんなら、いつ何時、グッとくるフィルムカメラと出会うかもしれないから、フィルムですら常に一本持ち歩くような生活だ。みんなはほんとどうしてるんだろうと、たまに考えたりする。この「撮りたい瞬間は、ある時、突如として目の前に現れるから」という現象に対して。

けれど、疲れている時ほどシャッターを切りたくなるし、カメラ屋をのぞきたくなる。じぶんでは病気だとは思っていないけど、カメラはある意味「撮るクスリ」だとも思う。シャッターはある意味、この世に存在する説明のつかない癒しのアイテムでもあるのだ。

常に持ち歩くものといえば、時計とかスマホと同じのようでもあるけど、カメラは使わない日もあることを考えると、これだけ常に持ち歩いているのは説明のつかない事象でもある。カメラが無くても生きてはいける。けれど、カメラを忘れた日もしくは家に置いて来た日は、異様なくらい不安になる。

そう考えると、やはり小さなカメラは必要なのだ。コンデジが一気にこの世から姿を消し始めて久しいが、各社から一台でいいから、渾身のコンパクトカメラを出し続けてほしいものだ。スマホカメラでは撮れない写真が、カメラでしか撮れない写真がやっぱりあるのだ。

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