
いや、タイトルを書いていて多少じぶんでも小っ恥ずかしいところはあるけど、まあでも嘘じゃないし、そういう内側に秘めたものも色濃くないと、これだけミラーレス全盛の時代にこんなにも多くのペンタキシアンがPENTAX機を使い続けていないと思うんだな。
PENTAXユーザーは熱いと言われる向きがある。僕の感覚的にはNikonユーザーよりも濃い気がする。CanonやSONYのユーザーはそれほど機材を熱く語るイメージはないが、NikonユーザーやPENTAXユーザーはSNSなんかでも愛機を熱く語るシーンはけっこう目にするから。もちろん、僕はこれ、いい意味として捉えてる。
カメラメーカーがテレビCMなんかを打たなくなって久しいけど、ユーザー同士の心が繋がり合う感じのあり方として、いまはコミュニティみたいな感覚がすごく大事な気がするからね。それと、これから写真を本格的に始めようという人なんかにとっては、SNSのなかで気になってるカメラのユーザーがその良さを語るポストなんかは、とても参考になってるんじゃないかとも思う。

そんないまどきのカメラ機材選びのなかで「PENTAXをチョイスする」というのは、ちょっと異端ではあると思う。PENTAXがどうこうとかじゃなくて、ミラーレス機の前の型みたいに見られてる一眼レフ機だから、という意味で。
でもね、ここにきてかつてのフィルム写真やフィルムカメラが見直されたり、昔のコンデジが密かに人気だったり、なにやら「写真に対する原点的思考」とか「写真が本来持つノスタルジック性」、あと「表現におけるアナログ感」みたいなものかな、そういう感覚への揺り戻しみたいなものがある気がするんだ。どうだろう。



そうすると、一眼レフが持っている光学式ファインダーとか、レフがかっちりと機械的に動作する感じとか、あとどこかゴツい道具感とか、そういうものが古いものじゃなくて「味があるもの、味が濃いもの」というふうに捉えられてるフシが、最近の人たちの深層心理のなかに出てきたんじゃないかなと思うのだ。
だとしたら、そういう部分にいまだにこだわり続けるPENTAXというメーカーは、もはや一周回って「ロマンのかたまり」のような存在に思える。いや、僕がPENTAX機をこよなく愛するゆえに多少饒舌になっていることは否定しない。でも、決して言い過ぎじゃない気もする。時代が追い越したり、また追いかけてきたり。おもしろいよね。
PENTAX機は一眼レフという構造だけじゃなくて、やたらと五感的なエモーショナルな感触を大事にしているメーカーだとも思う。こういうのはカタログ数値には出ない良さだから、むしろ人はそういうバックボーンとか内面的なこだわりに惹かれる。まあ、人間といっしょだ。
そこまで言うならちょっとPENTAXのことを調べたりしてみるか、という人は、ぜひこのブログにも何度となくそのあたりのことを書き続けているんで、関連記事やブログ内検索で「カタログ数値からはわからない良さ」をどんどん引っ張り出して紐解いてほしい。
まあ「ロマン」なるものを実感するには、PENTAX機と日常生活を共にしてもらわないとなかなかわからなかったりもするけど、それでも「知らない世界を知る」というだけでも、趣味の世界としてはとても豊かな行動だ。無理していきなり購入する必要はないけど、まずはちょっと調べてみる。ロマンとは、だいたいそういう漠然たる思いから幕が開くのだ。