カメラへの思い

無理してフィルムで撮らなくたっていい。

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FUJIFILM X100 初代Black Limited Edition

これもまたフィルムで撮り続けている人からお叱りを受けそうなタイトルだけど、Twitterなんかを眺めてるとやっぱりフィルム価格の高騰でフィルムにさよならを告げている人もいてね。

そりゃそうだと思う。フィルムは銘柄の選択肢が狭まってるのに値段は高騰してる状況だから、たとえフィルム写真を愛していても財政的にフィルムを続けるのが困難な人もいる。

物理的に困難というよりは、心理的にどこか無理をしてフィルムで撮るのが億劫に感じる、という意味合いだと思う。たしかに、心の中でどこか無理してる感じがあるなら、写真を心底楽しめないでいる感覚はあるかもしれない。

真底楽しめての趣味であり余暇だから、僕なんかは無理してまではフィルムで撮り続けなくていいんじゃないかと思う。

そりゃ、フィルムで撮るとそれほど枚数は撮らないし、それでいえば月に一、二本のフィルムをスローライフ的に撮るというスタイルならそれほど無理せずフィルムを続けられるけど、やっぱりかなりのシャッターを切りたいという人もいるからね。

FUJIFILM X10,

僕もかなりのシャッターを切りたいタイプ。そんな僕が四六時中フィルムだけで撮っていたら間違いなく破産するから、僕はデジタルで撮ることを全然ポジティブに捉えている。

というか、今では「カメラらしさを色濃く内包しているデジカメ」を存分に楽しめてると思っていて、そこには妥協してデジタルで撮っているという感覚すら今は無い。

フィルム価格の高騰があったおかげで、むしろデジカメでもカメラらしさを味わいながら写真を撮る楽しみを気づかせてもらったという思いすらある。

例えば富士フイルムのカメラなら、フィルムこそフィルムシミュレーションに置き換わるけど、露出を決めてダイヤルを操作して写真を撮るという行為については、限りなくフィルムカメラで撮るかのようにカメラを操る楽しさを味わうことができる。

おすすめは、少し古めのデジカメだちだ。FUJIFILM X100初代機やレンズ交換式のX-Pro1、それから僕が最近手に入れたズームできるコンデジX10なんかは、実に情緒のある写真撮影が楽しめる。

FUJIFILM X-Pro1

それでいて、カメラを手に入れる価格としては一万円台から、高くても一桁万円で手に入れることができる。デジカメだから当然フィルムコストはかからずに、大袈裟にいえば壊れるまで無限に写真を撮ることができる。

僕なんかはデジカメこそモノクロームで撮ることが、いろんな実験も含めてとても奥深くておもしろいと感じている。

カメラを開発している人たちは、ほぼ昔からカメラ好きで、つまりフィルム写真を楽しんできた結果、いまカメラ開発に携わってる人がほとんどなので、そこは最先端のカメラであろうが、どこかフィルム時代から継承された「撮る楽しみ」みたいなものが随所に注がれているんだよね。

だから、デジカメで撮ることを大いに楽しめばいいと思う。

少なくとも高価なフィルムで撮ることに罪悪感みたいなものを感じるくらいなら、スパッとデジカメにシフトして、その中で写真を撮る楽しみを再び探求していけばいいと思う。要は機材やシステムのことよりも「撮りたい気持ち」を自然体で楽しめる方法論を見出せれば、それがいちばん心の健康にもいいからね。

FUJIFILM X-T2

無理なくフィルムで撮り続けられる人ならそれでいいし、フィルムで撮ることに少し無理を感じ始めてる人ならデジカメで新境地を開けば、それもまた写真を楽しむ方法論を増やすことにつながる。

いずれにしても、好きな写真を撮ることに、決して無理はしない。楽しめる範囲で工夫して写真を続けることこそが「趣味のカメラ」の醍醐味であり、日々の生活の中の癒しでもあるからね。

食わず嫌いでいたことを、なにげなく実行に移してみると、想像しなかった以上の発見や感動を覚えることは、カメラの世界に限らずよくあること。

まずは、無理のない範囲でカメラと戯れる続けることができる方法をしなやかに発想して、行動に移してみることでいいと思う。少なくとも僕は、それで十分すぎるほど、いま写真とカメラが楽しめている。

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