Nikon Df

写真は「写真機」で撮る。Nikon Df

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Nikon Df, Zoom Nikkor 43-86mm f3.5

YouTubeなんかを観てると、ほんと素敵な動画が多くて、動画が持つ「映像と音、時間の流れる様子」なんかはクリエイティブだなと思いつつ、僕自身はまったく動画は撮らない。動画は観るほう専門だ。

こんな動画が誰でも撮れる機材やソフト、プラットフォームが整っている時代にもったいない話かもしれないが、端的にいうと「写真」が好きなのである。静的で時間を止めて封じ込めた世界を切り取る、眺める行為が好きであり、心落ち着く。

だから、カメラにも動画機能を求めることがまったくない。所有しているデジカメにも動画機能があるが、恥ずかしながら一度も使ったことがない。まったく時流に乗れていないダメ人間であるが、本人的には写真機としての機能さえ最低限備わっていれば、それで十分満たされる。

いや、むしろ写真機としての機能さえあればいいと思っている。光学ファインダー、絞りリング、シャッタースピードダイヤル、あと心地よいシャッター音、そしていかにも写真機らしいルックスだ。

そういうことを最初に意識して手に入れたデジカメは、Nikon Dfだろう。Dfは動画機能がない。WiFiもない。デジタル一眼レフゆえに厚みがあるのは致し方ないが、軍艦部にレイアウトされた物理的なダイヤル類は美しく尊い。

Dfにかつての往年のオールドニッコールを装着して撮る心地よさは、なかなか言葉で説明するのはむずかしいが、いわゆる写真しか撮れなかった時代の「写真機、フィルムカメラ」で撮る、あの豊かさがある。心なしか動画も撮れるカメラより、写真らしい写真が撮れる気がする。

Nikon Df, Nikkor-S Auto 50/1.4

動画も撮る人からすると論外のカメラであるが、「写真しか撮れないカメラ」だからこそ、そこに豊かさが生まれるような気がする。よく言われる「なんでもできるは、なんにもできない」というニュアンスに近いものなのかもしれない。

このNikon Dfを手にして以来、僕のデジタル選びは明らかに変わったと思う。カメラを選ぶ基準は「写真機らしさ」へと変わった。変わったというより、むしろフィルムカメラが持ち備えていた写真機らしさへ原点回帰したということかもしれない。

人にはそれぞれ趣味嗜好がある。動画が隆盛の時代に「写真機らしさ」を楽しむことは、誰にでもおすすめできることではない。冒頭にも述べた通り、動画には動画でしか表現できないクリエイティビティがある。それと同じように、写真にも写真でしか味わえない何かがある。

Nikon Df

その後者のほうを堪能したい人には、写真機をおすすめする。写真を撮ることを強く意識した道具には、やはり研ぎ澄まされた何かがある。道具というものは、時として足し算より引き算のほうが大切であったりする。

写真機をたずさえて、ある意味制約を背負って、限定されたひと時を楽しむのはどうだろう。そこには、極上の静寂と余韻のようなものが待っている。

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