SONY RX100 M3

写真という言葉ほど、けっこう異なるものらを強引にひとくくりにした言葉は無いんじゃないかと思うことがある。家族の記録をなにげなく撮る人もいれば、地球の息吹を感じるような絶景を撮りに行く人もいて、モデルのポートレートを撮る人もいたり、ストリートスナップを撮る人も。もちろんプロの方々の写真の世界もいろいろだ。

そんな写真という分野を細かく分類しようという話じゃなくて、それだけつかみようのない写真の得体のしれない感覚こそがたのしいなと思うのである。

特に「見る写真」にいたっては、その幅広さがほんとおもしろい。日本語で書くと「写真」ということで、なにやら真実を写すみたいに捉えられるけど、僕的にはむしろどれも非日常に見える、もしくはそういうふうに脳を誘ってくれるところが「見る写真」のおもしろさだと感じている。

中藤毅彦さんの「DOWN ON THE STREET」

それは、その写真集なり写真雑誌の中の写真を撮った人の日常や人となりを知らないわけで、その人の目やファインダーを通して撮られたものが果たして現実なのか、どこまで意図したものなのか、それとも偶然なのかとか分からないから、それはそれでかなりミステリアスなのだ。そこがいい。

なぜ、そんなことを書いているかというと、ふと数冊の写真集や写真雑誌を引っ張り出してきて、パラパラと頁をめくり、いままさにそんな感覚のなかにいるからである。

高橋ヨーコさん撮影の「長濱ねる」

中藤毅彦さん、高橋ヨーコさん、濱本奏さん、金村修さん、川島小鳥さん、奥山由之さん…、写真雑誌まで含めると実にいろんな異なる写真たちが脳みその中でない混ぜになって、非現実感を何回転かさせてくれるような不思議な刺激がある。イマジネーションのスイッチ的にもマックスだろう。

余計な文字がないのも写真のよさである。そうそう、こんなことを言うと怒られるけど、Sha Shin Magazineもぜひ一度、文字がなく写真だけで構成された一冊を見てみたいと感じている。リニューアル後の雑誌「写真。」のカオス感というか、あえてテーマを設けない世界が気に入っているので、なおさらそう思ったりする。

濱本奏さんの「チョー タン タン」

僕のブログ「記憶カメラ」は、機材と、その機材がある暮らしみたいなものを書くことが多い。それはなにか明確なポリシーがあるわけじゃないんだけど、「写真」とか「写真集」のことを書いてもあまり読まれないから、というのもある。実は機材以上に、写真を見ることが好きだったりするんだけどね。

でも、写真というのは、冒頭に書いた通り、その人その人で捉え方が違うし、ある意味とてもプライベートでセンシティブなものでもあるから、あまりひとつの見解で語るべきものでもない、というのが僕の見立てだったりする。

好きな写真雑誌「Sha Shin Magazine」

なので、写真集をいろいろ買おうとか、そういう話ではない。「見る写真」として手っ取り早いのは、じぶんで撮影した写真を眺める事だったりするからね。僕も写真を撮ることはあいかわらず下手くそだったりするけど、そんななかでも光と影の関係や、画角のミスマッチな感じなどを眺めるのが興味深い。

だから、きょうも懲りずに撮る。そして、眺める。その連続なのである。