
カメラで写真を撮ることを「趣味」とした場合、なんだか常にカメラで写真を撮っていないと趣味として成立していないとか、なにかそこに不足とか未達成感があると考える向きがあったりするのかな。そんな、頻度高くカメラを持ち出せていないことへの自戒みたいポストを見かけた。
これは、分からないでもない。というのも、SNSをのぞけばいろんな人が連日、カメラで撮った写真をポストしているし、その内容も多岐にわたっていて、写真を撮るために精力的に飛び回っている感覚を受ける。それを眺めていると、とてもそこまでカメラで写真を撮れていないじぶんに「やれやれ」と思う感覚なのではと思う。
でも、趣味の写真とカメラなら、そんなことをマイナスに捉える必要はまったくない。そもそも趣味は、生きるために多忙な毎日を送るなかで、そこにふと息抜きのようにじぶんに栄養を与えたり、癒しを与えたりする行為だから、そこにプラス要素はあってもマイナス要素はそもそもない。

たしかにSNSなんかを見てると、もうじぶん以外の人はみんな積極的にカメラで写真を撮り続けているように感じるかもだけど、それは正確には「積極的にカメラで写真を撮っている人がポストしている」のであって、それゆえにフォローしていたりするから、そのタイムラインやフィードを見でそう感じるのは当たり前なのだ。
それは世間ありのままの姿というより、少し誇張された姿だから、世の中そんなカメラで写真を撮りまくっている人たちばかりじゃないから、微塵も心配する必要なはい。
世間のことはともかくとして、趣味という世界のことを考えると、これは「じぶんへの良薬」だから、じぶんが心地いい頻度で楽しんだり、腕や知識を僅かずつ磨いていけたらとそれでいいと思う。つまり、モノサシがあるとすれば世間じゃなくて「じぶん」だ。

じぶんが心地いい頻度で息抜きできているならいいし、じぶんのスタイルにあったカメラがあれば何も流行や新製品の話題に流される必要もない。もっといえば、それらのことは写真には写り込まないし、写真がその瞬間を残すものとするならば、その瞬間が来たときに自然とシャッターを切る。それは、あまり頻度とは関係ない世界だ。
でも、その瞬間に出くわした時に、より趣のある描写力で撮りたいと思うなら、日々それとなく技術を磨くというか、じぶんの写真を見つめる行為として地道に写真を撮り続けるというのはあると思う。そして、それが「昨日より明日はもっと良くなる」という向上心につながるなら、それもまた素敵な趣味としての行為だと思う。
まあ、僕なんかは日々カメラで写真を撮り続けているが、志が低いので写真のほうはまったく向上しない笑。でも、大いに息抜きにはなっている。そして、じぶんのなかにはいちおうの積み重なっている何かはある。趣味の写真に定義はないが、趣味である以上、プラス要素だけを見るようにしている。カメラは写真を撮る道具であるが、息抜きの道具としても最高なのだ。