日記のようなもの

僕が僕のために撮る。心の健康のために。

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Nikon D200, 18-200VRii

僕が僕のために撮る。心の健康のために。

きょうのブログは病み上がりの少し個人的な色の濃い内容かもなので、カメラのことを期待してのぞいてくれてる人はここで読み止めてもらったほうがいいかもしれない。まあ、いつもそれほどカメラのことも書けてはいないんだけどね笑。

考えてみると、そもそもこのブログ「記憶カメラ」もジャンルとして“カメラブログ”とか“写真ブログ”をめざしたわけじゃないんだよね。書き始めの頃はそれこそカメラも数台のNikonのデジイチとRICOH GRくらい。いちばん書き進めた時期はGRだけで過ごしてたから、カメラのことなんてそんな毎度書くこともないしね。だから、当初のブログのコンセプトは「ファインダーというもう一つの目を通して日常を記憶する」というものだった。今もそれは変わらないんだけど、なんだかカメラやレンズがあれよあれよと増えてきて、結果、ちょっとカメラやレンズのレビュー的ブログにも見えてるかもしれないんだけどね。

でも、ブログをのぞいてくれてる人は分かってるんじゃないかと思うけど、最新の製品のレビューではないからね。フィルムカメラ然り、デジカメもどちらかといえば古めの低解像度で旧タイプのセンサーのもの、もしくはフィルムライクなちょっとマイナー?なものが多い笑。これはね、じぶんでもはっきりポリシーがあるわけじゃないんだけど、結果的に分析すると、「カメラの歴史をしぶんの目でさかのぼって確かめている」ということなんじゃないかなと。それも、どちらかといえば王道は情報がネット上なんかにもあるから、僕が確かめたいのはそこにあまり語られていない、そういう意味ではニッチで横道なカメラの歴史みたいなもの。いやあ、これもうまく言葉にできている自信はないけど、まあそんな意味合いかなと今は思ってる。

今朝ふとコレで撮ろうと思い立ち連れ出したのが、桜の写真のNikon D200とDX(Nikon APS-C専用)レンズの18-200VRiiなんだけど、D200はCCDセンサー機として保有し続けるのはアリとして、同じような立ち位置のCMOSセンサー機のD300や、それとセットで使っていた18-200VRiiなんかは、Dfもあるんだから手放して良さそうなんだけど、こうして「ふと」使いたくなる瞬間があるからなかなか手放せないでいる。フィルムカメラでも同じような立ち位置のカメラが数台あるんだけど、さすがにすべてを使いきれる時間が足りなくなってきてるから、そろそろ断捨離時かなとは思ってるんだけど、そうするとこれまで確かめてきた「カメラ史をさかのぼる感覚に隙間ができる」ような気がして、なんとかじぶんの生の記憶に刷り込もうと必死だとたりもする。むずかしいよね、みんなどんな折り合いをつけてるのかな。

それでも、カメラの歴史的にいえば、さかのぼることが僕には重要で、現在進行形から未来は、いくつかの現行機種が手元にあるから、もうこれから先は新しいものは必要ないかなと思ってる。レンズは別としても、ボディは今のデジカメがすべて壊れたら、その時考えればいいかな程度の気持ち笑。今も10年前のデジカメを好んで手に入れてるくらいだから、10年後もいまのデジカメをきっと好んで使ってるであろうじぶんが目に浮かぶしね。実際、Nikon DfもOlympus PEN-Fも、Leica M-PもRICOH GRも、全然古くならない気がする。そういうスタイルのカメラを選んでいるじぶんもいるんだろうね。

フィルムカメラはひと頃のようには激しく撮ってはいない。撮り始めの頃は毎週5本ほど現像に出していたからね笑。その後、Dfを手に入れたあたりから少しずつデジタルの比率が増えて、今はデジタルがほとんどでフィルムをたまに、という感じかな。正確に言うと、フィルムをやめた感覚はまったくなくて、「デジタルでフィルムを追いかけている」そんな感覚かな。僕の場合、カメラ史をさかのぼってる感覚だから、フィルムからデジタルに転換したその感覚を今確かめている、そんな感覚なんだ。だから、いい意味でフィルムとデジタルの境目がなくなった。それよりも、その転換期にカメラ開発者たちがどんな思いでデジタルに想いを馳せたのか、フィルムの何を残したかったのかとか、そんなことを考えながら毎回、さまざまなカメラとその個性ある写りを楽しんでいる。そんな個人的な感想をこうしてブログに書き残してる感じかな。

まあ、僕もやがてこの世からいなくなるわけだけど、それまでの間、少しでも同じような思いの人へこれらの記事が届いたり、役に立ったりすればいいなと。かなり狭い層のような気がするけど、まあ最初にも書いた通り、王道的記事はネット上にたくさんあるので、ためになる詳細情報はそちらを見てもらうとして、この「記憶カメラ」は「あ、そんな考え方もあるのか」程度の息抜きでたまに立ち寄ってもらえればそれだけで光栄です。いやあ、やっぱり何を書きたかったのか分からないポストになったけど、病み上がり、なんかブログを書きたい気分になったので書きなぐってみた。何はともあれ、カメラは素晴らしいという話です。本当に、人生に素晴らしい。

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