Nikon D300

久しぶりのAF一眼レフ機の連写に、本能が歓喜した。

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Nikon F6 + 70-300VR, Nikon D300 + 18-200VRii

一度は諦めた息子の運動会の撮影へ今朝になって行けるようになり、父は慌てて二台の撮影用カメラを用意した。一台はフィルムAF機のNikon F6とレンズは70-300VR、もう一台はAFデジタル機のNikon D300とレンズは18-200VRiiだ。

ふだんのカメラ生活ではどちらかというと出番の少ないAF一眼レフたち。というのも、僕のカメラの嗜好がすっかりフィルムライクなものになったから、こうしたカメラたちもMF単焦点レンズをつけることがほとんどで、AF望遠ズームをつけることはほとんどない。だから、こうして息子の運動会なんかが年に一、二回の望遠レンズの出番だったりする。

まあでも考えてみると、D300にしてもF6にしても、AFズームで瞬時に獲物を捕まえるような撮影こそが本来の性能を絞り出すシチュエーションでもあり、こうして望遠ズームを装着した姿も実によく似合う。もちろんMF単焦点レンズでじっくりゆっくり撮るのもいいんだけど、なんというか過酷な環境でその鍛え上げられた性能を試すというのが、こうした高性能一眼レフとの向き合いの楽しさなのかもなとあらためて思った。

運動会の父兄による撮影とはいえ、何百人といる子どもたちや親御さんの中で、息子を見つけてシューティングするのは、それはそれでなかなか過酷な状況ではある笑。まさに縦横無尽に動き回る獲物を瞬時に捉えて、一瞬たりとも目を離さないという感じで連写モードでシャッターを切る。周囲の親御さんたちがその異様な高速のシャッター連打音を聞いて多少引いているのを感じるものの、やがてそんなことは気にもせず真っ暗なファインダーの中に浮かび上がる世界のシューティングに没頭する。

基本はフィルムで撮ろうと思ってたからメインはF6。F6のシャッター音はまさに音色をデザインしたと言われるもので、乾いた実に高貴な音とフィーリングを奏でる。この音を頭蓋骨に聴かせたくてF6を持ち出すところがあるくらいだ。連写のそれももはやデジタル一眼レフとなんら変わりない性能。あっという間にフィルム一本撮り終えると、電気により自動であっという間にフィルムが巻き戻る。フィルムカメラなんだけど、このロボット的なハイテク感はなかなかたまらない。

息子を追いかけるのがかなり至難だと分かると、カメラをD300に持ち替える。デジタルな失敗カットを気にすることなく、それこそ連写しまくれる。F6よりさらに乾いたD300のシャッターフィールはこれまたNikon黄金期を思わせる実に心地いいもの。まったくストレスなく、目の前の過酷なシーンを次々と吸い取るように写し取っていく。この難なく辺りを正確にシュートしていく感覚は病みつきになる。

F6もD300も、もう登場から10年以上経過するカメラたちたけど、こうした過酷な使い方でも未だにまったく不安を感じさせない。共にフィルムフラッグシップ機とAPS-Cフラッグシップ機という、Nikonのありったけの技術とプライドが詰め込まれた製品だけに、そのへんのタフさは尋常じゃないものを感じる。なんというか、撮り手の本能を歓喜させる手ごたえが随所に散りばめられた至福の道具たちなんだ。息子の運動会ではあるんだけど、父もこうしてアドレナリンが溢れ出るひと時を堪能できる。カメラという趣味がまったく飽きず素晴らしいのは、なんといってもこの「実用品」ということが大きいんだろうね。いやあ、堪能した。これを契機に、AF一眼レフ機をもっと連れ出してやりたいと心底思った。

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