日記のようなもの

孤独ととるか、孵化ととるか。

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僕はひと気の無いほう、無いほうへと足が向かう。幾つの頃からそうなのかはじぶんでも定かではないのだけど、人が多いところはどこか苦手だ。人見知りというのとは少し違う。学生の頃はそれなりにつるむグループがいたし、大人になってからもむしろ人と人の媒介になるような仕事柄、人の群れの中に入っていかないと立ち行かなかったりするから、それはそれで避けているつもりもない。ただ、僕は一人でいる時間が好きなようなのである。たぶん、子どもの頃から、かなり人より強く。

そんなだから、社交的なにんげんかと言われればどちらかというと、そうではない側のにんげんなのかもしれない。そしてそれは人から見れば孤独にうつるのかもしれない。でも、じぶんでは寂しいとか虚しいとかいう感覚はなくて、一人でいる時こそ僕はなにかを感じ、それについて濃く考え、それをあたため、じぶんらしさみたいなものを成長させてきたように思う。つまり、僕にとっては一人でいることは孤独というよりも、とても体温があって生命力が漲っている時間だったりする。強いて言うなら、孤独というよりは「孵化」しているような感覚。そして、それはかなりじぶんには心地いい時間だったりする。

にんげんはコミュニケーションをとる生きものだから、一人じゃやっぱり生きられない。人と交わることはたいせつだし、たくさんの人とドライブをかけあうことで良い答えや発想が生まれたりもする。でも、だからこそ僕は人と向き合う時ににんげんらしさを常に持ち合わせておくために、一人でいる時間やひとり静かに熟考するプロセスが必要だし大切なんだと思っている。

光は、光り輝く場所の真っ只中にいるよりは、暗がり側から見たほうがよりくっきりと鮮明に見える。ひとり孤独に思案する時間というのは、孤独の最中にいるということではなくて、ひとがにんげんらしさを見出すために孵化している時間ということなのではないかな。ふと、そんなことを考えるひとり週末夜。

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