Leica M3

レンジファインダーが僕の写真観を変えてくれたことは間違いない。

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Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この場合、レンジファインダーとはLeica M3とLeica IIIaのことであり、写真観とはスナップシューティング観ということである。変化の大きなきっかけになったのは、バルナックライカIIIaと沈胴式Elmar50/3.5を手に入れたことだと思う。そのあまりにも薄くコンパクトなボディに軽く衝撃を受け、平日の仕事鞄の中の相棒がKonica C35からIIIaへと変わった。

IIIaを日々持ち出して街の雑踏の中のスナップを撮り始めると、そのミラーショックのないレンジファインダーなら息を止めさえすれば夕刻や夜間のネオンライトでもシャッターが切れることを知る。そして、50mmという難しい焦点距離が僕の足を前後にもう数歩だけ前後させる。そして、その感覚をもう一台のレンジファインダーでも確かめたくて、Leica M3も平日の街スナップに連れ出すようになった。つまり、一週間の7日間のうち実に5日間もレンジファインダーと過ごすようになったんだ。これだけ時間の過ごし方が変われば、スナップのある日常の写真観も変わって当然だった。

思えばカメラを始めた当初はデジイチで週末に自然を撮ることが楽しみだった。そこにRICOH GRが加わり、スナップというものを撮ることの楽しみを覚えた。フィルムカメラを始めた時も一眼レフだったから、週末は一眼レフで撮ることが多く、所有カメラの割合も一眼レフが多かった。レンジファインダーはその合間に撮るような割合でしか無かった。それが、ほぼレンジファインダーとの時間へと変わったのである。じぶんの中に少し、いや割と鮮明に、これからの残りの人生におけるカメラとスナップとの向き合い方が見えてきた気がした。

ライカというカメラはとかく高価さやブランド感、使い倒すカメラというより骨董品のように飾り眺めるカメラと見られがちかもしれないけど、僕の中ではライカこそ日々外へ持ち出して何気ない街の光景を撮り倒すカメラだと知った。僕にはそう思えた、それもかなり強烈に。このじぶんが受けた本能的で官能的な感覚を頼りに、もう少しこの道を掘っていきたい、いや人生の残り時間はそこを可能なかぎり掘り探る時間に当てたい、そう思えるようになった。たかがスナップだけど、人生はそのスナップの縮図であり、されどスナップだ。ライカとスナップ、羅針盤がそこにはあった。

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