Rolleiflex Standard

フィルムカメラは、時間を買うんだ。

Rolleiflex Standard ,Tessar 75/3.5

僕の今があるのは、フィルムカメラとの出会いが大きい。「僕の今」とは、写真を撮ることと同じか、それ以上にカメラが好きということ。趣味は何ですか?と聞かれたら「写真です」と言わずに「カメラです」と言うもんな。それはアバウトに答えてるんじゃなくて、カメラというプロダクトが好きですよ、という意味が明確にある。

Nikon F2、Leica M3、Olympus OM-1N、Rolleiflex Standard…どれも明確にその佇まいに惚れて手に入れたという実感がある。もちろん、フィルムで撮る写真の風合いもたまらない。けれど、フィルムカメラがもし現代の多くのカメラのようなフォルムであったら、ここまでこよなく愛していないと思う。金属のどこか丸みを帯びたラインと艶かしさ、匂い、人間くささ、刻まれた文字の彫り具合とクラシカルなタイポグラフィ、どれをとってもハートを鷲掴みされるような魅力にあふれている。中古カメラ屋のショーケースで眺めるフィルムカメラたちは、もうまるでオモチャ箱のようにドキドキ、ワクワクする。

まあ、やはりデザインが好きなんだろうな、そのフィルムカメラたちの。それを明確に感じるのは、僕の所有するデジカメのラインナップに現れている。RICOH GR、Nikon Df、Leica M-P&X2、Olympus PEN-F…どれもクラシカルなデザインのものばかりだ。性能でいえばもっと優れたカメラたちがある中で、僕はひたすら少しメインストリームから外れた、こうしたクラシカルな雰囲気を持ち合わせたデジカメたちを選んでしまう。フィルムカメラライクなその撮影所作ももちろん好きなんだけど、究極で言えばやっぱりそのデザインというか佇まいに惚れ込んで手にしてるんだよね。

カメラは「写真を撮る道具」だから、別にカメラそのもののフォルムなんて、「いい写真を撮ること」においては何の関係もない。実際「いい写真」を撮る人たちの中で、カメラのことを表立って強く語る人はあまりいない。もちろん、本来は普通の人よりカメラを強く愛しているんだろうけど、それを上回るほど写真を愛してやまないのだろうから、特にカメラという道具のことをこれ見よがしに語る人は少ないんだろうと思う。けれど、カメラが表現するための道具であることを考えたら、撮る人の撮る気持ちを高揚させる存在感というのはとても大事だとも思う。

上手く言えないけど、「撮る道具」であると同時に「眺める道具」でもあると思うんだ。このRolleiflex Standardなんて年に何回かしか撮らない。以前、ブログにも書いたことがあるんだけど、僕は中判を撮りたくてローライフレックスを手に入れたわけではない。Rolleiflex Standardが欲しくて手に入れたというのが、素直な気持ちであり動機なんだ。だから、こうしてRolleiflex Standardのボディを良く眺め、写真に収めたりする。まったく飽きないし、何時間でも眺めていられる。

しばらく眺めていると、時空を超えたような不思議な気分になる。1930年代に作られた120フィルムのローライフレックス初号機。一体どんな人が最初に手に入れ、それから何人の人の手を経て僕のもとへやってきたんだろうと。どんな国でシャッターが切られ、どんな写真たちを量産してきたのだろうと。新品のカメラからは得られない、とてつもなく夢のある空想の時間だ。発売された当時は恐ろしく高価なモノであったろう逸品たちが、今では安価で僕ら庶民が手にすることができる価格で売られている。これはもう大バーゲンプライスなんじゃないかとさえ思えてくる。

あと何年使えるのだろうか。そんなことをふと思うこともあるけど、フィルムさえあれば、そして修理職人さんさえいれば、もうあと一世紀くらいは平気で使えそうな、そのなんともいえない丈夫さというかたくましさ、そういうところにまた惹かれるのである。僕はフィルムで撮る写真は好きだけど、それだけだったらここまでフィルムカメラにハマったりしない。フィルムカメラをここまでこよなく愛するのは、実用品という枠を超え、写真を撮る道具という役割を飛び出し、その存在感やそこに宿る時間の流れに心奪われるんだと思う。写真を愛する人たちからすると少し邪道なカメラ好きかもしれないけど、これが僕の素直なカメラとの向き合い方なのである。

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