Nikon FE

いま振り返る、Nikon FEとの運命的な出会い。

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Nikon FE, Ai 50/1.8

いま振り返る、Nikon FEとの運命的な出会い。

皆さんは、最初に手にしたカメラは何だろうか?。僕はこのNikon FE。正確にいうとそれ以前にデジタルカメラは数台経験していたけど、“今の僕”があるという意味においては、このフィルムカメラのFEが始まりといってもいいだろう。それくらい、このカメラとの出会いが僕のライフスタイルに大きく影響を与えた。

デジカメを一度いわゆる断捨離してRICOH GRだけで過ごしていた時に、たぶん日々眺めていたTwitterの影響もあったのか、ふと中古カメラコーナーに立ち寄ったんだよね。中古カメラとはいえ、どれも数万円はするなかで、このFEはたしか一万円もしなかったんじゃないだろうか。しかもレンズも付いてショーケースの中に鎮座していた。けれど貧乏くさく置かれていたんじゃなくて、僕にはその端正ないかにもフィルムカメラらしい佇まいがとても格好良く見えたんだよね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

ブラックとシルバーがバランスよく配されたデザインはとてもカメラらしく、垂直に描かれたNikonの旧ロゴ、いかにもメカニカルな各種ダイヤル、あと匂いというのかな、僕が生まれて育ってきた昭和の香りをプンプンと放ち、一気に気持ちが引き込まれていくのがわかった。となれば躊躇する値段でもないし、連れて帰ってみようと。そこから始まったんだよね、時間の流れ方が変わる生活が。

Nikon FE, Ai 50/1.8

だって、こんな自転車のありふれた部品を撮るだけでも楽しいんだよ。そんなカメラないよね、普通(笑)。僕のFEは値段のわりに外観はすこぶる美しいけど、ファインダーの中はそれなりにゴミなんかもあって最新カメラと比べるとお世辞にも快適とは言えない。けれど、それも含めて楽しいんだ、このFEのファインダーを通して記憶する世界はね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

シャッターレバーもいかにもレトロな形で、こんなので写真が撮れるんだろうかと最初は思ったもんなあ。ジーっと巻き上げてシャッターを切ると、これまたなんともレトロで頼りないシャッター音を奏でる(笑)。もうね、癒しの世界とはこういうものを言うんだろなというくらい、このデジタルハイテク時代にあって新鮮な撮影体験だった。

Nikon FE, Ai 50/1.8

心配してた露出合わせもAEの絞り優先撮影ができるFEならまったく分からないわけじゃない。いま思うとかなり開放気味だったとは思うけど、シャッタースピードのことまでは理解できていなくても撮影自体は普通にできた。どちらかというとマニュアルフォーカスのほうがどぎまぎしたかな。

Nikon FE, Ai 50/1.8

購入したのが金曜日の夜だったから、土曜日の朝、一本だけお店で詰めてもらっていた24枚撮りの業務用100で夢中で撮った。家の近くの公園とか何の変哲もないありふれた光景たち。それでも僕には満足だった。というか、その体験したことのないフィルム撮影の味わい深さに感動しきりで、結局その週末は近くのホームセンターでフィルムを買い足して、まだちゃんと撮れているか分からない試し撮りに数本のフィルムを費やした。

Nikon FE, Ai 50/1.8

そして週末が終わりフィルムを初めて現像に出すことになるんだけど、この現像あがりを待つまでの時間も何ともいえずワクワク、ドキドキしてたなあ。もうね、恥ずかしいけど中学の頃の恋模様のようなあのドキドキ感だから(笑)。あんな心境は二度と経験できないと思ってたけど、こんなオヤジになってもできるんだよね、フィルムカメラなら。

Nikon FE, Ai 50/1.8

最初の現像はまだデータ化とかの仕組みもよく分かっていなかったから、全枚数プリントを頼んだんだよね。これがまた良かったのかもしれない。現像からあがってきた写真たちをお店の人が「写真の仕上がりを確認してください」とレジで促してくらたんだけど、そのプリント写真を見た時の衝撃は今でも忘れない。「なんだ、この美しい写真たちは!これ、本当に僕があの古くさいカメラで撮ったものなのか?!」と本当にしばらく言葉を失ったから。

Nikon FE, Ai 50/1.8

以降、僕がフィルムNikonのブラックシップ機、F2やF6、フィルムライカの原点IIIaやM3、ローライフレックスやローライ35を手にしていったわけだけど、もうこれはすべてNikon FEとの衝撃的な出会いがあったからこそ。さらに新鮮だったのは、このフィルム体験がもう一度“マニュアルライクなデジタル”との再会まで導いてくれて、Nikon DfやLeica M-P(typ240)までもが今では日々の相棒になった。

気がついたら世間から“沼”と言われそうなくらいの数のカメラに囲まれたおじさん人生になったけど、いま僕は青春を謳歌している。フィルムカメラたちは僕が生まれ育った昭和の頃の何かも感じさせてくれるからね、そういう意味でも青春を取り戻している感覚があるのかもしれない。人にはそれぞれ人生の中でいくつかの転機があると思うんだけど、僕にはこのFEとの出会いがその大きなひとつであることは間違いない。フィルムという記憶メディアがいつまで楽しめるのかは分からないけど、使えるかぎりは僕の青春も終わらない。いい歳してほんといいものに巡り会わせてもらった。人生がとても豊かなものになった。

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