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あなたの中判カメラは元気ですか。

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Hasselblad 500C/M, Planar 80/2.8, Fujifilm PRO160NS

あなたのおすすめの中判カメラは元気ですか。

僕の初めての中判カメラはローライフレックス・スタンダードで、今はハッセルブラッド500C/Mが相棒だ。

けれど「相棒」といってもいつも一緒にいるわけではない。いちばん頻度高く持ち出しているカメラはデジカメだし、フィルムで撮る時はもっぱら35mmカラーネガが中心だ。中判カメラの出番となると、一年のうちに数回といったところじゃないだろうか。

じゃ、極端なことを言えば「中判カメラ」は無くてもさして困らないんじゃないか?と言えなくもない。たしかにそうだ。でも、中判カメラについては頻度じゃないんだな。ふと中判で撮りたいなと思った時に「いつでも持ち出せる中判カメラがある安心感」ということが大事なのかなと。

そして、実際、ふと持ち出した時に味わうアノ撮影感覚が、頻度なんかを超越して「写真を撮る行為の美しさ」であり「光をすくいとる儚さ」みたいなものを再認識させてくれる。

撮れる写真だってそうだ。まるで高画素のデジカメのようなドキッとする美しい写りを披露する。写真を拡大すると、さらにその思いは強くなる。「これは本当にフィルムで撮った写真なんだろうか」。そう思わずにはいられない、ある種独特のきめの細かな世界が焼き付けられる。

カラーネガと同じくらい手軽に現像できれば、もっとメインのカメラになるのかもしれないけど、いまどきの中判フィルムの現像は二週間ほどかかり、仮に季節の花を撮ったとしても花が枯れ始める頃にようやく現像があがってくるという、実に手間と時間を要する。

果たして便利なのか? いや、全然便利ではない。便利さだけでいえば、カメラの中で最も根気を要するカメラかもしれない。

でも、それでも、いざという時に持ち出せる一台があることが、精神的にも、息抜きや癒しとしても効いてくるんだ。中判カメラとは、そういうある種「撮るクスリ」みたいなところがあるんだよね。

ブローニーフィルム1本でたったの12枚しか撮れないカメラなんて、今どきのカメラ事情からいえば、もはや化石みたいな存在かもしれない。でも、たまに化石のドキュメンタリームービーなんかを見て、ふと我にかえることってあるよね笑。あの懐かしいような、本能がよろこぶ感じ。それこそが中判カメラの意義なんだ。僕はそう思う。

ふと写真の整理をしていたら、ハッセルで撮った写真たちに思わず目がとまり、中判カメラの存在感だったり、持つべき価値みたいなものを書いておきたいと思った。

無くてもおそらく困らないけど、あればあったでこんなに安心感を覚えるカメラなんてのも、そう無い。中判カメラに惹かれるのは、そうした「たまに、じぶんを、写真というものの価値の再認識する」という意味においてかもしれない。

さて、「あなたの中判カメラは元気ですか」

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