じぶんメモ

Runでも何でも走り出しはキツイんだけど、そのうち驚くほど楽に走れるようになるんだよな、人生は。

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Konica C35, Hexanon 38/2.8

ここのところRunの頻度を毎日に戻している。愛犬と暮らすようになり、以前よりは朝晩多少歩く量が増えたものの、これまでにない時間を確保するためにスイミングをやめたこともあり体が鈍り気味。こういう運動不足が僕の場合、体の不調としてすぐに現れる。そうやって体が黄色信号を灯し初めて、運動のペースを見直す。考えてみると、僕の人生はずっとその繰り返しだ。

昨夜のRunも走り出しはほんとキツかった。ここ数日間の連続のRunでふくらはぎが常に張っている状態。心なしか体も重い。もうやめようかな走るの、と頭によぎるんだけど、そこをグッと堪えてそのまま体を引きずるように走り続ける。そうすると10分も走ればずいぶん楽になるのである。でもこれ、Runだけじゃなく何でもなんだよね。仕事も、趣味も、初めての環境の走り出しは何かと不安とか苦労を伴うわけだけど、意外とキツイのは最初だけ。そのうちスイスイと走っているじぶんに気づく。人間の適応力とはハンパないなといつも思う。ある程度人生経験を積むと、そうしたことが分かってくるから、少々キツイことがあっても、その楽になる瞬間を思い浮かべて頑張れる。年の功とはそういうもんじゃないかと思っている。

カメラなんかもそういうところあるよね。今思うと、初めてNikon D5300でカメラを始めた時はもうほんとスマホカメラの延長線上で、露出も何もあったもんじゃなかった。まあキツイというのとは違うけど、とにかくなにかこうダメなわけだよね、感覚的に。それでも現代のカメラは実によく撮れてくれるんでまあこんなもんかと勘違いするわけだけど、それはやがて伸び悩みみたいなモヤモヤした気持ちにつながる。それがブレイクスルーしたのは、僕の場合だとカメラをGRだけにして一年間撮りまくったのと、その後フィルムカメラに出会ったこと。たぶん現状を変えたいとその都度思ったんだろうね。だから僕の場合は飽きやすいというより、常に現状を変えたいという欲求が、次の行動を促す。

新しいことを始める時は、もちろんワクワクする気持ちもあるけど、大抵は面倒くさい抵抗感とも戦うわけです。ワクワクする気持ちだけで済めば、世の中もっと活性化するけど、にんげんはなんだかんだで現状維持が楽なんで妄想だけで終わってしまうことが少なくない。そこをとにかく始めてみる、本能みたいなものを信じて。走り出しはなかなかいろんなことがうまくいかないと。でも走り続ける。と、やがてアレアレというくらいコツがつかめる、むずかしかったことがとても楽になる瞬間がやってくる。もう人生とはその繰り返しなんだな。逆に言えば、この新しい異物をじぶんの中に入れ続けるということをしないと、にんげんは退化する。維持じゃない、退化だ。だって、じぶんは止まってるように思うけど、時間は猛烈に前へと進んでいるから、維持じゃなくて置いてかれる、つまり後退であり退化。そうした結果、自然の成り行きに逆行してるわけだから、脳や体が不調を訴え始める。なんか哲学的な話になってきたけど、まあそういうわけです、何でも。というわけて、ちょっとじぶん後退してるなあと感じたら、とりあえずキツくても新しいこと始めて、アノ瞬間が来るまで頑張ろう、そして繰り返そう、という話でした。そろそろ年末だし、来年はどうしよう、活性化。

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