“iPhoneは綺麗に写りすぎるから、写ルンですで。”というのは分かる気がする。

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写ルンですの人気を書いた記事で、若い人が写ルンですを好む理由に”iPhoneだと綺麗に写りすぎるんで”というニュアンスのことが書いてあったんだけど、とても分かる気がする。僕はカメラを始める前はずっとiPhoneカメラで写真を楽しんでいたんだけど、いちばん楽しめていたのは古きiPhone 3GSのカメラで、その後iPhoneが新しくなるたびにだんだんとiPhoneのカメラと疎遠になっていった。いま考えると、昔のiPhoneカメラは”綺麗に写りすぎない良さ”があったんだろうね。正確なことは分からないけど、どうだろう。

カメラの進化とはオートの進化と画質の進化だったんじゃないかなと思うけど、それはたしかにプロをはじめ写真に精巧さを求める多くのユーザーには刺さったのかもしれない。でも、写真の楽しみをもう少し引いて考えてみると、みんながみんな精巧さや利便性を求めてるわけじゃなくて、不便さが新鮮だったり写りすぎないところに味を求める人も一定数存在することを、この写ルンです人気再燃は気づかせてくれたように思う。

気がつくと、僕はiPhoneカメラからデジタル一眼レフを経てフィルムカメラへたどりつき、また今デジタル一眼レフと再会を果たしている。でも、ふたたび手にした一眼レフは画素数も感度も他の製品に比べたら控えめなモノたちになった。それは、僕が写真に求めるものが、あの頃のiPhone 3GSで撮っていた頃から変わらないのかもしれない。僕にとって写真とは、正確な記録ではなくて、どこか不正確なものも混ざり合った記憶なんだなと、あらためて。

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